2011年11月8日火曜日

父親の入院

介護施設にいる父親が入院したという連絡が、福岡への出張中に妻からあった。

深夜1時30分を過ぎているというのに、ホテルの部屋で突然目が冴えてしまう。突然、悔恨の念で体中がいっぱいなことに気がつく。お父さん、俺はあなたのことを何も知らない。48年間も一緒に生きてきたのに、あなたのことを何一つ理解していない。ホテルの部屋で、突然閉所恐怖に襲われる。今すぐ病院へ行ってあなたと話をしなければならない。あなたの半生を、大切に思っていることを、今すぐすべて聞き出さなければならない。外着に着替え直し、部屋の窓を開けて、少し落ち着きを取り戻した。

一昨日の11月6日の日曜日、介護施設を久しぶりに訪れたとき、あなたはほんとうに小さくなっていた。痰がからんで、呼吸の音はぜいぜいと不吉だった。あなたは自分の墓の墓石の見積もりが遅れていることばかり気にしていた。俺はほとんど涙がこぼれそうだった。38.5度あった熱は37.0度まで下がってきている。血中の酸素量も正常範囲内に近づいてきている。それでも、命が弱まってきていると感じられた。

ベッドの上で上体を引き上げるとき、それでもあなたの体は重かった。なかなか動かなかった。あなたの体に触れたのは、何年ぶりだったことだろう。あなたはパジャマや寝間着を着ない。茶色いフランネルのいつものシャツを着、左腕には金の腕時計をはめ、そしてシェーバーでひげを剃った。一人ではベッドから降りられないというのに、身だしなみを整えることに何の疑問もないという風情だった。俺は、あなたのひげを剃ってあげたかった。あなたの手はもう、シェーバーを頬に正しくあてることができなくなってきていた。どうしてシャツを着ているのか聞きたかった。どうして腕時計をはずさないのか話してほしかった。どうしてひげを剃りたいのか理解したかった。

とぎれとぎれの会話を30分ほどした。最後に、今日はどうもありがとう、とあなたは言った。何故だか俺は椅子から立ち上がってしまった。あなたは立派だよ。あなたはきちんと受け入れている。48歳にもなるのに、俺はまだまだ全然だめなままだ。

2011年4月11日月曜日

地震のこと

2011年3月11日(金)の地震のことは記憶していた方がよいと思ったので、まだ覚えていることを書き留めておく。

11日(金)に地震が起こったときは、会社で仕事をしていた。契約書の雛形に載せる条項を会議室で同僚と2人で校正していたときに、揺れが来た。冷静だったが、何がどうなるのか、何をするべきで何をする必要がないのか、ちっとも分からなかった。リーダーシップが重要だなどと職場では日頃から言っているのに、自分のことしか考えが及ばない。少し離れた場所で働いているスタッフが本社に戻ってもよいか許可を求めてきたときにも、定時まで通常業務を続けさせるべきかどうか悩んだりした。臨時の帰宅便として会社の巡回バスが自宅方面へ出発すると聞いて乗車したが、渋滞で全く進まず会社に戻ることにする。結局、会社で一泊することにした。ホームページで情報収集しながら、会社のデスクの横で睡眠を取る。原子力発電所の事故が気にかかった。

12日(土)の午前中、電車が全く動かないので、同僚が運転する会社の車に分乗して帰宅。天気は晴れ、首都高速は空いており、何事もなかったのではないかという気分になる。

13日(日)は自宅周辺で過ごす。テレビをほとんど見ない所為もあってか、この地震の影響は限定的だし、自分の生活にはほとんど影響しないと感じていた。停電や商品の欠品が起こるとは全く想像できなかった。

14日(月)の朝、通勤電車の運行休止を知る。自分の迂闊さ加減がようやく分かってきた。妻の勧めで、自転車で会社まで行くことにする。以前にも自転車通勤をしたことがあるので、迷う心配はない。服と鞄と装備を整え、27kmほどの距離に1時間30分かかった。会社に到着したとき、何人かのスタッフが出社を喜んでくれた。頼りにされたことを嬉しく感じる。休憩時間中に、大惨事の中でも秩序立った行動をしていた人たちに関するブログを読んだ。自分にも、最低限のことはできそうな気がしてくる。

17日(木)は前から予定していた休暇を取り、実家で一人暮らしをしている母親の様子を見に行った。途中から電車が運休になっていたのでタクシーに乗る。この付近が計画停電の対象区域であることを、タクシーのドライバーに教えてもった。幸い、母親は元気だった。昼食の食材がないので、信号の消えた道を食料品店を探して歩く。コンビニエンスストアが1軒営業していた。照明が完全に消え、レジも動かない。レトルトのカレーと菓子類を買うと、会計は充電式のハンディターミナルで行われた。外の駐車場では、近所の工事にやってきた職人さんと思しき人達が、品切れの弁当類の代わりにカロリーメイトやスナック菓子類を昼食に食べている。円高が急激に進んだので、会社に電話して米ドルの為替予約をする。庭の倒れた石灯籠を直し、部屋の本棚を整理して、電車の運行時間に合わせて早々に帰宅した。

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この地震で再認識したことがある。
【1】自分が生きている地面や社会基盤やシステムは、実は脆弱であること(少なくとも脆弱な部分があること)。
【2】自分の生活は、実に様々な人や物、社会システムに依存していること。身の回りにある何一つ自分で作り出すことはできないし、社会システムの中で自分が果たせる役割は極小であること。
【3】原子力発電や電気の利用に関する知識を深め、評価に必要な軸や要因は何かをはっきりさせる必要があること。
転換点を記録しておきたかっただけだ。結論を求めているわけではない。

2011年1月21日金曜日

対・上司作戦〈べからず〉と〈べし〉

ハーバード・ビジネス式 マネジメント - 最初の90日で成果を出す技術」という本に、「新しい上司と健全な関係を築くコツ」が書いてあった。上司との関係、部下との関係に悩むことが多く、結構使えると思ったのでメモしておく。

対・上司作戦〈べからず〉
  • これまでの悪口を言うべからず。
  • 殻に閉じこもるべからず。 ― あなたの方から近付いていこう。自分は仕事ができるから大丈夫などと思っていてはいけない。
  • 不快な不意打ちを与えるべからず。 ― 上司が重大視するのは、むしろ問題が起きたときにすぐに報告しないことなのだ。重大な問題が他のルートから上司の耳に入るのは最悪である。
  • 問題だけを上司に押しつけるべからず。 ― 解決策も用意していくこと。何が問題でどんな助けが必要か、数分程度でわかるように整理しておくこと。
  • 不要なことまで逐一報告するべからず。 ― 「何をしたいか、どうしてほしいか、それだけを言いに来たまえ」
  • 上司を変えようと思うべからず。 ― 上司の癖や習慣には、あなたが合わせてあげよう。

対・上司作戦〈べし〉
  • 上司とうまくやるのは100%部下の仕事と心得るべし。― 上司の方からあなたに手を差しのべ必要な助けを与えてくれるなどと期待してはいけない。
  • 早い時期にお互いの期待をはっきりさせるべし。― 悪いニュースは包み隠さず報告して、過剰な期待を抱かせないように。その後も定期的に話し合い、上司の期待が膨れあがらないよう牽制しよう。
  • 期限を交渉すべし。― 新しい職場の問題を診断し、どんな手を打つか考える猶予期間をもらわなければならない。
  • 緒戦の勝利は、上司が重視する分野で目指すべし。
  • 上司が信頼する人に好感を持ってもらうべし。


説教くさい押しつけにならないように、こうした事項を若手へ伝えることができればよいのだけれど。