11日(金)に地震が起こったときは、会社で仕事をしていた。契約書の雛形に載せる条項を会議室で同僚と2人で校正していたときに、揺れが来た。冷静だったが、何がどうなるのか、何をするべきで何をする必要がないのか、ちっとも分からなかった。リーダーシップが重要だなどと職場では日頃から言っているのに、自分のことしか考えが及ばない。少し離れた場所で働いているスタッフが本社に戻ってもよいか許可を求めてきたときにも、定時まで通常業務を続けさせるべきかどうか悩んだりした。臨時の帰宅便として会社の巡回バスが自宅方面へ出発すると聞いて乗車したが、渋滞で全く進まず会社に戻ることにする。結局、会社で一泊することにした。ホームページで情報収集しながら、会社のデスクの横で睡眠を取る。原子力発電所の事故が気にかかった。
12日(土)の午前中、電車が全く動かないので、同僚が運転する会社の車に分乗して帰宅。天気は晴れ、首都高速は空いており、何事もなかったのではないかという気分になる。
13日(日)は自宅周辺で過ごす。テレビをほとんど見ない所為もあってか、この地震の影響は限定的だし、自分の生活にはほとんど影響しないと感じていた。停電や商品の欠品が起こるとは全く想像できなかった。
14日(月)の朝、通勤電車の運行休止を知る。自分の迂闊さ加減がようやく分かってきた。妻の勧めで、自転車で会社まで行くことにする。以前にも自転車通勤をしたことがあるので、迷う心配はない。服と鞄と装備を整え、27kmほどの距離に1時間30分かかった。会社に到着したとき、何人かのスタッフが出社を喜んでくれた。頼りにされたことを嬉しく感じる。休憩時間中に、大惨事の中でも秩序立った行動をしていた人たちに関するブログを読んだ。自分にも、最低限のことはできそうな気がしてくる。
17日(木)は前から予定していた休暇を取り、実家で一人暮らしをしている母親の様子を見に行った。途中から電車が運休になっていたのでタクシーに乗る。この付近が計画停電の対象区域であることを、タクシーのドライバーに教えてもった。幸い、母親は元気だった。昼食の食材がないので、信号の消えた道を食料品店を探して歩く。コンビニエンスストアが1軒営業していた。照明が完全に消え、レジも動かない。レトルトのカレーと菓子類を買うと、会計は充電式のハンディターミナルで行われた。外の駐車場では、近所の工事にやってきた職人さんと思しき人達が、品切れの弁当類の代わりにカロリーメイトやスナック菓子類を昼食に食べている。円高が急激に進んだので、会社に電話して米ドルの為替予約をする。庭の倒れた石灯籠を直し、部屋の本棚を整理して、電車の運行時間に合わせて早々に帰宅した。
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この地震で再認識したことがある。
【1】自分が生きている地面や社会基盤やシステムは、実は脆弱であること(少なくとも脆弱な部分があること)。
【2】自分の生活は、実に様々な人や物、社会システムに依存していること。身の回りにある何一つ自分で作り出すことはできないし、社会システムの中で自分が果たせる役割は極小であること。
【3】原子力発電や電気の利用に関する知識を深め、評価に必要な軸や要因は何かをはっきりさせる必要があること。
転換点を記録しておきたかっただけだ。結論を求めているわけではない。