介護施設にいる父親が入院したという連絡が、福岡への出張中に妻からあった。
深夜1時30分を過ぎているというのに、ホテルの部屋で突然目が冴えてしまう。突然、悔恨の念で体中がいっぱいなことに気がつく。お父さん、俺はあなたのことを何も知らない。48年間も一緒に生きてきたのに、あなたのことを何一つ理解していない。ホテルの部屋で、突然閉所恐怖に襲われる。今すぐ病院へ行ってあなたと話をしなければならない。あなたの半生を、大切に思っていることを、今すぐすべて聞き出さなければならない。外着に着替え直し、部屋の窓を開けて、少し落ち着きを取り戻した。
一昨日の11月6日の日曜日、介護施設を久しぶりに訪れたとき、あなたはほんとうに小さくなっていた。痰がからんで、呼吸の音はぜいぜいと不吉だった。あなたは自分の墓の墓石の見積もりが遅れていることばかり気にしていた。俺はほとんど涙がこぼれそうだった。38.5度あった熱は37.0度まで下がってきている。血中の酸素量も正常範囲内に近づいてきている。それでも、命が弱まってきていると感じられた。
ベッドの上で上体を引き上げるとき、それでもあなたの体は重かった。なかなか動かなかった。あなたの体に触れたのは、何年ぶりだったことだろう。あなたはパジャマや寝間着を着ない。茶色いフランネルのいつものシャツを着、左腕には金の腕時計をはめ、そしてシェーバーでひげを剃った。一人ではベッドから降りられないというのに、身だしなみを整えることに何の疑問もないという風情だった。俺は、あなたのひげを剃ってあげたかった。あなたの手はもう、シェーバーを頬に正しくあてることができなくなってきていた。どうしてシャツを着ているのか聞きたかった。どうして腕時計をはずさないのか話してほしかった。どうしてひげを剃りたいのか理解したかった。
とぎれとぎれの会話を30分ほどした。最後に、今日はどうもありがとう、とあなたは言った。何故だか俺は椅子から立ち上がってしまった。あなたは立派だよ。あなたはきちんと受け入れている。48歳にもなるのに、俺はまだまだ全然だめなままだ。