2009年6月29日月曜日

家族というもの

6月27日(土)に家人は二度目の産科を受診し、身長1cm余りの胎児に心臓の鼓動が始まっていることを確認してきた。予定日が来年2010年2月8日(月)であることは、初回の受診で知らされている。長男はもう、生まれてくる弟または妹の名前を考え始めている。今日6月29日(月)に、妻も私も会社の上司に状況を伝え、サポートをお願いした。

いろいろなことが起こり始め、スピードが速くなってきている気がする。

妊娠が分かってからのこの3週間、とにかく気にかかったことは、
  • この子に経済的な苦労を感じさせずに、教育機会を与えて成人させることができるか。
  • そのために必要となる自分の健康を、今後20年間は維持できるか。
というようなことばかりだった。また、
  • ダウン症などの障害を胎児が持っていたら、自分はどのように対応すればよいのか。
ということも、繰り返し考えた。

反応的ではなく主体的に、生活する目的を再構成して集中できるようになるまでに、もう少し時間がかかりそうな気がする。私は家族というものと、どのように関わっていきたいのだろう。

2009年6月7日日曜日

初夏の陽射し


6月7日の日曜日、天気がよいのでまた自転車で江ノ島へ行く。いつの間にか春が終わっていて、初夏のような陽射しだった。

ここ数ヶ月は少なくとも月に100kmは自転車に乗れており、体も軽い感じがしたのだが、不得意な坂を避けるコースを取る。坂と言っても高低差はおそらく6~70mほど、勾配もさほどきついわけではないのだが、積極的に挑戦する気持ちになれなかったのだ。

挑戦しないから老け込むのか、老け込んできたから挑戦できないのか。

より大きな地図で 保土ヶ谷から江ノ島まで2 を表示

大変

6月6日(土)の朝、まだ布団の中で起きようか起きまいか悩んでいるとき、洗面所の方から「大変だ~」という家人の声がした。妊娠したという結果が検査薬に出ているとのこと。検査薬のパッケージには「99%」という確度が大きく表示されている。

かつて、家人と私は不妊治療を受けていた。2002年に長男が生まれるまでの数年間、様々な検査、定期的な注射と受診、投薬とそれによる不快感に、家人はずいぶん苦労したと思う。二人目がほしいと思ってからも、投薬や人工授精を2年くらいは続けた。医者での治療を諦めてからも、漢方薬とかホメオパシーとかに出費を重ねた。私が45歳になる頃に治療に類することはすべて止めていたので、今朝は「大変だ~」ということになったわけだ。

「大変だ~」となって感じたことを書いてみる。
  • ほっとしたような、安心したような感じがした。これは、一人しかいない子供が、何らかの理由で失われることを考えるととても不安だったからだと感じられる。彼は今のところ健康で失われる理由など見あたらないのだが、彼を愛しいと思うほど失うことが不安になってくる。その反動で、彼に対して過剰に濃密に接触しているようにも思われた。
  • また、兄弟の存在は成長期に心を育む上でとても有意義なものであると思われ、それを息子に与えられなかったことを負い目に感じていたことも背景にあるように思う。
  • 一方で一人目の時に感じた、飛び上がるような喜びはなかった。
  • 経済的な問題が発生しないか心配になった。二人目が生まれる年の夏には、私は47歳になる。十分な経済的援助を家族に与えられなくなる可能性はもちろん、親が高齢であることを子供が負い目に思ったりすることが心配だった。私自身、父が45歳、母が40歳のときに生まれ、親が高齢であることと経済的な不安がずっと気にかかっていた。
  • 一人目のために購入したベビーカーや衣類や玩具などを、かなり捨ててしまったり人にあげてしまったことが悔やまれた。

家人はまだ医者に行っていないので、正確なところはわからない。でも私は「育児するお父さんモード」になってきている。一人目の時以上に、良い親になりたいと切に思う。