2010年3月9日火曜日

管理職がすべきこと。リーダーの仕事のマニュアル。

会社で管理職になって以来、管理職あるいはリーダーの仕事のマニュアルがないかと、ずっと感じてきた。小さな会社しか経験してこなかったからか、模範と思える管理職に出会ったり指導してもらったりした記憶がない。あるとき突然、自分にも肩書きが付くようになり組織図の自分の位置が上にずれる。何ができればリーダーになれるのか、リーダーは何に集中して何を上達すべきなのか、係長と課長と部長に本質的な違いはあるのか、誰からも教わらないまま管理職になって今日まできてしまっている。

脱「でぶスモーカー」の仕事術〉の作者デービッド・マイスター(メイスター)のつながりで、彼の共著である〈初めてリーダーとなる人のコーチング〉を読んだ。この本にせめて15年前に出会っていたら、と思った。この本の対象読者は、「はじめに」に以下のように書かれている。

(前略) 対象となる読者は、企業全体を管理する立場の人ではなく、その一部の調整、管理、指揮、運営などにあたる人である。グループのメンバーにとって「ボス」ではなく、たとえ立場上は上司でも、ボスらしくふるまおうとはしない。命令指揮する権限はほとんどなく、あったとしてもめったに行使しない。リーダーとしていい仕事をするには、対等な仲間の中で先頭に立つことが大事である。
企業全体ではなくグループを管理する立場なので、一方で自分もメンバーと同じ業務を続けなければならない。プレーヤー兼コーチである。管理やそれに類する仕事は初めてという人もいるだろう。(後略)

自分の経験では、管理職の仕事をよくこなすためには、担当の職務機能が限定されていたとしても、多くの専門的な領域をカバーする必要があった。個々の専門分野では部下になる人の方が詳しいし、自分の昇進が順調であれば部下が年長であることはざらなので、ボスとして振る舞える機会などない。それに、ボスとして振る舞えるとしても、コーチとして振る舞った方がチームの力を引き出しやすいことはすぐに分かる。また、人材育成が追いついておらず、管理職としての時間配分の切り替えが不十分なので、自分もプレーヤーの立場を引きずってしまう。よい管理職になる方策が分からない私は、この本の対象読者の条件を満たしていた。階層が上がってもこうした状況は余り変わらないので、管理職に成り立ての頃はもちろん、若干上級の職位の人になった今も役立つと感じている。


この本が、初めてリーダーになる人の大きな助けになると思われる点は、数多くのチェックリストに具体的な課題項目や行動内容が列挙されていることだ。自分のグループがうまく機能しているかどうかを検討するためのリスト(13リスト)、最初にグループを作るときに明確にすべき項目のリスト(18リスト)、リーダーの行動に関するリスト(7リスト)、メンバー一人ひとりとのつきあい方に関するリスト(23リスト)、グループを管理するためのリスト(27リスト)。例えば、リーダーは何に時間を使うべきかのリストとか、自信家に対応するための手順とか、メンバーの問題のある行動への対応とか、大事なメンバーが死亡したら、というのまである。

こうした基本的な課題の一つひとつに私も躓いてきたし、今も悩んでいる。何をすべきなのか、何をすべきでないのか、どの程度まで行動すべきなのか、行動の基準や規範は何に求めるべきなのか。この本の箇条書きのチャートは具体的でわかりやすく、課題に直面したときマニュアルとして利用することができると思われた。こういうことが体系的にまとまっていて、いつでも参照できるという事実は、大きな助けになる。

作者のデービッド・マイスター(メイスター)は、2009年末で引退してしまったそうだ
(http://davidmaister.com/blog/604/Farewell-and-Thanks)。これ以上の著作が期待できないことが、残念だ。

2010年3月3日水曜日

長女が生まれた

2月8日(月)に長女が生まれた。この日の出来事を記録しておきたいと思う。

2月7日(日)の晩に寝入ってしばらくした後、翌8日(月)午前1:30頃に妻に起こされた。周期はまだ長いが、本格的な陣痛が始まったようだとのこと。彼女はかかりつけの産科に電話をし、とりあえず診察を受けることになる。ばたばたと身支度を調えて、タクシーをつかまえ産科へ向かった。この日がちょうど予定日となっていた妻はそのまま入院することになった。陣痛が強くならないので、3時過ぎ頃、私は一度家に戻ることにする。寝ている長男を家に置いてきているためだ。

4:28に陣痛が強まってきたとのメールが妻から届く。熟睡している長男を起こして支度をさせ、再度タクシーで2人で産科へ向かった。家族が増える瞬間に長男を立ち会わせると、妻と予め決めておいたためだ。可能であれば私と長男は分娩室に入ってその瞬間を共有してほしいと、妻は希望していたのだ。妻の陣痛はまだ十分に強くならず、長時間かかるかもしれないと看護師に言われる。このため7時過ぎ、電車で再度家に帰る。途中、長男の小学校に電話をかけ、今日は休ませる旨を担任の先生に連絡した。

9:12に妻からメールが届いた。陣痛がかなりきつくなってきているらしい。長男を連れて電車で産科へ。ベッドの上の妻はかなり苦しいようで、背中から腰を何度もさすってやる。10時過ぎ、長男をトイレに連れて行って病室へ戻ると、妻は分娩室へ移されていた。

分娩室に入るため専用の薄い上着と帽子を身に付ける。長男は分娩室には入りたがらない。分娩室では二人の看護師と共に妻が格闘中だった。私は妻の頭側に立って彼女の頭を両手で支えてやりながら、ただひたすら見守ることになる。赤ん坊は産道につかえているようだ。助産師が内線電話をかけると、院長が分娩室に現れた。看護師も院長も、元気づける言葉を妻にかけ続ける。私は何を言っていいのか分からず、ただ妻の頭を支えていた。院長は妻のお腹に体重をかけるような形で押し、妻も力を込めるが、まだ生まれてこない。若干切開することになる。

10:55、ようやく生まれる。妻のお腹の上に乗せられた赤ん坊から、泣き声がする。妻も少し壊れたように泣き出した。安堵の気持ちが広がり、私も目が熱くなる。院長に促され、臍帯を切った。この産科では、希望すれば臍帯を切らせてもらえるのだ。臍帯は半透明で、中に血管が通っているのが見える。本当にこれを切っていいのか、切るとき赤ん坊を傷つけたりしないか、院長や看護師の反応を目で確認しながら、手術用の鋏に力を込める。臍帯はゴムホースのような固さだった。

2,724g。49.0cm。健康で生まれてきてくれたことがありがたかった。抱きかかえると、予想以上に軽く小さかった。一人目を育てた経験と、何とかなるという自信があるせいか、長男が生まれた時ほどの緊張や感動はない。私がこの子にしてあげられることを、改めて考え始めた。この子が成人するとき、私は66歳になっていることを思った。

2010年1月26日火曜日

スタッフを元気づけられるように

昨年末の忘年会で、同じテーブルになった年長の人が言葉をかけてくれた。

定例会議で君が主張していることや日頃実行しようとしていることは、間違っていない。必ず業績の向上につながっていく。今の努力を来年も続けるべきだ。

ふっと、気持ちが上向いてきた。自分は信頼されていて、今の自分に自信を持ってよいと確認でき、安堵感のようなものが湧く。この年長者は、他の会社から昨年移ってきた人で、前の会社では経営の責任者だったと聞いている。不安を抱えて孤立しかけているかもしれない私の状況が、よく解っていたのだろう。一年を振り返って次の年に向かおうとする節目に嬉しかった。

翻って、私は自分のスタッフを勇気づけることが全くできるようになっていないことに、改めて気が付く。コーチングについてもリーダーシップについても、本を読みかじってはみたものの、実際の行動に結びつけられない。会社の人間関係をギブ・アンド・テイクの短期的な取引と思ってしまいがちで、長期的に育成していく仲間だとはとらえられないのだ。

マネジャーを育てることは、マネジメントについて議論することではなく(ましてリーダーシップなど議論すべきでない)、感情の自己制御と相互交流のスタイルをあれこれ経験し、試し、発達させるしかないプロセスに候補者を放り込むことである。

これも、【脱「でぶスモーカー」の仕事術】の一節だ。

小さな会社しか経験せず、スタッフの育成方法もコーチングも身につけてこなかった私は、なんといびつなことだろう。組織図上で私の部下になってしまった現在のスタッフたちを、今年こそは力づけていきたい。