2010年3月3日水曜日

長女が生まれた

2月8日(月)に長女が生まれた。この日の出来事を記録しておきたいと思う。

2月7日(日)の晩に寝入ってしばらくした後、翌8日(月)午前1:30頃に妻に起こされた。周期はまだ長いが、本格的な陣痛が始まったようだとのこと。彼女はかかりつけの産科に電話をし、とりあえず診察を受けることになる。ばたばたと身支度を調えて、タクシーをつかまえ産科へ向かった。この日がちょうど予定日となっていた妻はそのまま入院することになった。陣痛が強くならないので、3時過ぎ頃、私は一度家に戻ることにする。寝ている長男を家に置いてきているためだ。

4:28に陣痛が強まってきたとのメールが妻から届く。熟睡している長男を起こして支度をさせ、再度タクシーで2人で産科へ向かった。家族が増える瞬間に長男を立ち会わせると、妻と予め決めておいたためだ。可能であれば私と長男は分娩室に入ってその瞬間を共有してほしいと、妻は希望していたのだ。妻の陣痛はまだ十分に強くならず、長時間かかるかもしれないと看護師に言われる。このため7時過ぎ、電車で再度家に帰る。途中、長男の小学校に電話をかけ、今日は休ませる旨を担任の先生に連絡した。

9:12に妻からメールが届いた。陣痛がかなりきつくなってきているらしい。長男を連れて電車で産科へ。ベッドの上の妻はかなり苦しいようで、背中から腰を何度もさすってやる。10時過ぎ、長男をトイレに連れて行って病室へ戻ると、妻は分娩室へ移されていた。

分娩室に入るため専用の薄い上着と帽子を身に付ける。長男は分娩室には入りたがらない。分娩室では二人の看護師と共に妻が格闘中だった。私は妻の頭側に立って彼女の頭を両手で支えてやりながら、ただひたすら見守ることになる。赤ん坊は産道につかえているようだ。助産師が内線電話をかけると、院長が分娩室に現れた。看護師も院長も、元気づける言葉を妻にかけ続ける。私は何を言っていいのか分からず、ただ妻の頭を支えていた。院長は妻のお腹に体重をかけるような形で押し、妻も力を込めるが、まだ生まれてこない。若干切開することになる。

10:55、ようやく生まれる。妻のお腹の上に乗せられた赤ん坊から、泣き声がする。妻も少し壊れたように泣き出した。安堵の気持ちが広がり、私も目が熱くなる。院長に促され、臍帯を切った。この産科では、希望すれば臍帯を切らせてもらえるのだ。臍帯は半透明で、中に血管が通っているのが見える。本当にこれを切っていいのか、切るとき赤ん坊を傷つけたりしないか、院長や看護師の反応を目で確認しながら、手術用の鋏に力を込める。臍帯はゴムホースのような固さだった。

2,724g。49.0cm。健康で生まれてきてくれたことがありがたかった。抱きかかえると、予想以上に軽く小さかった。一人目を育てた経験と、何とかなるという自信があるせいか、長男が生まれた時ほどの緊張や感動はない。私がこの子にしてあげられることを、改めて考え始めた。この子が成人するとき、私は66歳になっていることを思った。