自分がいつの間にか変わってしまっていることを実感する。
- 子供の頃はテレビをたくさん見て(1日5時間以上は見ていた気がする)、漫画ばかり読んでいたのに、自分の息子がテレビばかり見ていると、もっと他のことをさせなければと感じる。
- 高校生の頃、進学校へ通っていたことが自信になっていたくせに、学歴社会を批判したり、学校で勉強する意味なんかないと授業をさぼってゲームセンターに行ったりした。自分の息子が授業をさぼってゲームセンターに入り浸ったりしたら、自分はそれを認めてやれるだろうか。
- 大学は2年生の途中から行かなくなり、結局中退してしまった。本当は、自分の能力が足りず、勉強に付いていくのが億劫になっただけなのに、中退を正当化する理由を探し回った。自分の息子が学校へ行くのは嫌だと本気で言ったら、自分はどうする?
五味太郎さんの「大人問題
」という本を読んで、自分は昔と変わってしまったこと、作者はきちんと初源の自己を保存していると感じた。
そして、少し思い出したことがある。
- 個人は本質的に自由であること。
- 社会や共同性に先立って個人があり、その逆ではないこと。
- 制度や規範は「とりあえず」のものであって、唯一絶対ではないこと。
もう少し。
- 自分は、人に優しくする方法をまったく知らなかった。人からは優しくしてほしかったくせにだ。異性に好かれたいと切望していたが、こんな私に好意を寄せる人など全くいなかったのは、もっともだ。
- アマチュア無線の無線機を買ってもらえなかったこと。
- 好き嫌いが多く、母親の料理が口に合わなかったこと。
- 些細な言い間違いや親の知識不足。
- 他の家庭に比べて、家が貧しいと思えたこと。でも、今思い起こすと、毎週の少年マガジンも、毎月の科学と学習も、プラモデルも、電子工作用の部品も、百科事典も、学習書も、不自由はなかった気がする。家が古い木造だったから?
今、息子を見て思うこと、息子と私との間にある葛藤と本質的に何も変わりはないことがわかる。
「すべてにおいて精神が疲労しきって」いる自分には、五味太郎さんの言葉は少し痛いが、こういう刺激は定期的に必要だと思えた。