例えば電車を待っている駅のホームで、目や耳にする言葉の表現に違和感を感じることがある。
「駆け込み乗車はお止めください。」
「電車遅れが発生しています。」
どうして...
「(乗車するとき)駆け込まないでください。」
「電車が遅れています。」
...ぢゃないんだろう。
動名詞(行為を名詞化したもの)+する
という形式が選ばれていて、
目的語+動詞
という形式は排除されているようだ。
動名詞には、その行為が一般的に持つ周辺の意味が付随するので、伝達されるイメージが自然と豊富になるからだと思えた。「登山する」と言うと、服や靴や帽子をそれらしく着け、リュックや各種の装備を持って、スポーツや趣味で行うイメージがする。これが「山に登る」だと、そうしたイメージは弱まり、山の高いところへ移動するという行為のみが主に想起される。
ただ、ここで伝わると期待されるイメージは、その時点で「一般的」なものになってしまうだろう。このため、メッセージ全体が喚起する意味の広がりや豊穣さは失われ、表現としては退屈になることもある気がする。また、このイメージの具体像は受け手に委ねられているので、送り手の意図が必ずしも伝わるとは限らないという意味で、正確ではない。マニュアルや規定、ビジネスライティングなどで使用するには、この動名詞の定義を明確にすることが必要だろう。
これは、古語の枕詞や序詞が使われた方向と似ているのかもしれない。「たらちねの母」が「母」より豊富なイメージを持つようにだ。