2009年2月1日日曜日

束の間

先日購入したノート型PCを、自宅のトイレに持ち込んだ。これまでは無線LANがなかったので、トイレでPCを使うなど考えても見なかったのだ。あまりに便利なのに驚く。メールをチェックし、ニュースに目を通し、本や必需品が購入できた。これらのことはほとんど携帯電話でもできるのだろうが、私は携帯電話を意識的に使わないようにしてきたので知らなかったのだ。

自宅で家族が一緒にいると、子供の遊び相手や家事の手伝いで、新聞や本を落ち着いて読めない。トイレに入るときに新聞や本を持って行くのには時間潰し以上の意味があり、新聞をきちんと読んでいるのはトイレくらいだ。
  • 新聞を読むのはトイレ。
  • 本を読むのは通勤電車。
  • ニュースを読むのは仕事の合間にインターネットサイト。
  • 私用のメールやインターネットサイトをチェックするのは帰宅後寝るまでの束の間。
新聞の内容がほとんどインターネットサイトでも読めるようになった現在、新聞を定期購読する意味が本当に低下してきていると感じる。新聞を読む優位点は、自分にとって重要な情報、関心を引く情報があるかないかを、紙面を開き目を走らせる一瞬で判断できることぐらいだろうか。インターネットサイトでは、情報の一覧性が新聞より劣ると思えるので、すべての見出しを確認するのにも時間がかかるように感じている。検索を使うと検索対象以外の記事が除外されるので、関心の広がりや意外性のある記事に出会う楽しみが減少する気もする。でも、代替手段が登場して、新聞を購読しなくなる日は近づいている気がなんとなくしてきた。