2009年2月23日月曜日

Meniere's Disease


頭がくらくらするのが治まらないので2月20日(金)の午前中に、耳鼻科へ行く。「めまいはしますか」と医者に聞かれた。

「遊園地のジェットコースターやコーヒーカップから降りた時みたいに、頭がぐらぐらするんですよ。」
「それが、めまいです。」
ふぅん。
45歳になるまで私は、めまいってどんなものか実感したことがなかったのだ。知らないものは知らない。

処方されためまい止めの薬を飲むと少し楽になってきた。めまいとの付き合いが、長くなりそうな気がする。

2009年2月15日日曜日

ディズニーリゾート

2月11日(水)の休日と休暇を組み合わせて、家族でディズニーリゾートへ行った。ホテルを一泊予約し、1日目はディズニー・シーへ、2日目はディズニー・ランドへ行く。

ディズニー・シーは、ディズニー・ランドに比べて歩いているだけでも楽しい感じがする。これは、景観の作り込み方の密度が濃いこと、つまりは構築物が数多く密に配置され、路面や壁面の作り方が丁寧で粗雑さや破綻している感じが少ないことによって、作り出された世界に溶け込み易いからだと思った。こうした空間を作り出す能力や、毎日の運用に耐えさせ維持する努力は、きわめて大きいものなのだろう。

ディズニーリゾートにいる女の子を見て、色気を感じることが少ない。女の子自体に差異はないと考えられるので、ディズニーリゾートに来ると寛いでしまって異性に対する意識が低下し、それが仕草や立ち居振る舞い、化粧や服装などに出るのかなどと勝手に考えを巡らせてしまう。女の子の色気とディズニーリゾートの目的とはまったく相容れないだろうし、何より自分自身が男の色気のかけらもない。女の子の側から私を見たら、くたびれてだらしない、色気のない叔父さんに映っているだろう。

自分自身はもうショウやライドを楽しもうという歳ではないが、整った環境で家族と過ごす時間を確保し、子供が喜ぶ顔を見るのは悪くない。また来園することになるのだろう。

子育ての終わり

いつの間にか、子育てが終わりかけていることにふと気がついた。
一人息子はこの4月から小学生になる。トイレや入浴、生理的な身体を維持するための行為は、本当は一人で全部できるようになっているのだろう。子供を食事させるのに手がかかるのは、食べこぼしや行儀を親が気にするからで、彼の食欲を満たすだけならもう手助けは不要だ。
そして彼との関わり合いで多いのは、今や躾になっている。禁止やルールへの強制が会話に多い。躾をしなければならない理由には自覚的ではないのに、半ば反射的にルールを彼に刷り込もうとする。
法律や規則、社会生活のルール、人間関係上のマナー、こうしたものすべてに疑問符をつけた時期が私にもあった。このときから私は確かに変質していることに気がつく。一体私は、彼にどうなってほしいのだろう。

2009年2月1日日曜日

回復

1月29日(木)に耳鼻科へ行ったら、突発性難聴で低下した聴力が回復していた。左右の周波数特性がきちんとそろった検査結果を見せながら、すっかり回復したのでもう来院する必要はないと、医者は笑いながら言った。本来は喜ぶべきことなのだが、目眩のような頭痛のような何ともいえない違和感が頭の中に残っているので、状況を訴え、一週間分の薬を追加してもらう。

26日(月)は頭がくらくらして、仕事どころではなかった。入院や失聴を本格的に覚悟した。通院する途上でさえ、目眩をかなり感じていたのだ。医者はもう、治療を続ける気がないようなので、かえって不安な気持ちが増す。他の病気が潜在していたらと心配になる。杞憂であるように念じる。

束の間

先日購入したノート型PCを、自宅のトイレに持ち込んだ。これまでは無線LANがなかったので、トイレでPCを使うなど考えても見なかったのだ。あまりに便利なのに驚く。メールをチェックし、ニュースに目を通し、本や必需品が購入できた。これらのことはほとんど携帯電話でもできるのだろうが、私は携帯電話を意識的に使わないようにしてきたので知らなかったのだ。

自宅で家族が一緒にいると、子供の遊び相手や家事の手伝いで、新聞や本を落ち着いて読めない。トイレに入るときに新聞や本を持って行くのには時間潰し以上の意味があり、新聞をきちんと読んでいるのはトイレくらいだ。
  • 新聞を読むのはトイレ。
  • 本を読むのは通勤電車。
  • ニュースを読むのは仕事の合間にインターネットサイト。
  • 私用のメールやインターネットサイトをチェックするのは帰宅後寝るまでの束の間。
新聞の内容がほとんどインターネットサイトでも読めるようになった現在、新聞を定期購読する意味が本当に低下してきていると感じる。新聞を読む優位点は、自分にとって重要な情報、関心を引く情報があるかないかを、紙面を開き目を走らせる一瞬で判断できることぐらいだろうか。インターネットサイトでは、情報の一覧性が新聞より劣ると思えるので、すべての見出しを確認するのにも時間がかかるように感じている。検索を使うと検索対象以外の記事が除外されるので、関心の広がりや意外性のある記事に出会う楽しみが減少する気もする。でも、代替手段が登場して、新聞を購読しなくなる日は近づいている気がなんとなくしてきた。

節目

卒園おめでとう。

母さんと父さんは、ほんとうに嬉しい気持ちでいっぱいです。これから小学生になっていく君が、とてもまぶしく見えています。

保育園で過ごした6年間に、君は歩けるようになり、お話ができるようになり、ご飯を食べるのもトイレに行くのも一人でできるようになりました。お友達もたくさんできました。母さんや父さんが近くにいないときでも、君は一所懸命に頑張ったのだと思っています。

大きなけがや病気をしないで、こうして元気に毎日を送ってこられたのは、保育園の先生たちやお友達がみんな、君を大好きで大切に思ってくれているからでしょう。みんなにありがとうと思う気持ちを忘れないでください。離れて住んでいるお祖母ちゃんもお祖父ちゃんも、伯父さんや伯母さんも、いつも君のことを考えてくれていると思います。

君はもう、自転車にも乗れるし、ラグビーもできるし、英語も覚え始めました。そしてこれから、できることがもっともっと増えて、どんどん上手になっていくでしょう。もっと大きく、健康で、優しく、賢くなっていく君と、母さんと父さんはこれからもずっと一緒に過ごしていきたいと思っています。君の笑顔を見ると、とても元気になります。君の母さんと父さんになれたことが嬉しいです。

大好きな君へ

母、父
一人息子が通っている保育園へ、卒園文集の原稿を提出することになった。彼が生まれて8ヶ月目の4月から預け始めて、この3月に卒園する。彼が一人で読めるようになったときに、彼の勇気や自信になってほしいと思った。