2009年4月29日水曜日

海の公園、現代美術

天気が良く、妻と子供が外出したので、自転車で八景島の海の公園へ向かった。

ここのところ少しだけ自転車に乗るようになって体が慣れてきたのか、思ったより疲れもせずに到着する。人出が多く、満車の駐車場に入場を待つ車が道路の左手に渋滞していた。海辺も夏を思わせるような混雑ぶりだった。いつものようにバーベキュー場で一休みして折り返す。走行距離は35kmほど。


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蕎麦屋に寄って昼食を取り、帰宅してシャワーを浴びた後、横浜美術館金氏徹平展を見に行った。何か楽しくなるような気分、ユーモアのようなものが感じられ、重さや縛り付けられるようなところがなく、かと言って軽薄でもなく、心地よい作品だった。

職業とした以上、アーティストは、どこかで見たような意匠、誰かが以前に作ったような形象を拒否して、新しいイメージを作り出すのに必死なのだろうと勝手に想像した。今日見た作品は、新しいイメージに届いていながら、必死さや意味付けの重さから解放されているように思われ、何となく明るい気分になった。

2009年4月26日日曜日

公衆無線LANサービス


公衆無線LANサービスに加入した。フレッツスポットを選ぶ。
  • 私の狭い行動範囲にアクセスポイントが多くあった。私はマクドナルドへは滅多に行かないが、スターバックスには行くことがある。私が行くスターバックスにはフレッツスポットがあった。
  • 自宅でフレッツ光を使っていた。ネットワークから申し込みができ、支払い口座を新規に作成しなくて良いという容易さがあった。
  • 毎月840円の価格は妥当だと感じられた。
...あたりが選択の理由だと思われた。

新しいノート型PCを1月に購入したので、家人に煩わされない環境でPCを使うことができるようになっていた。使っているうちに、これをインターネットに接続したいと思ったわけだ。Googleの幅広い便利なサービス、使っていることを意識しないで済むDropBoxのファイル共有、Wikipediaやその他様々な情報ソース、多くの生活必需品を依存するようになったAmazonを始めとするショッピングサイトなど、インターネット接続への誘惑には抗しがたいものがあった。インターネット接続しないでPCを使っていると、俗を絶って修行中の禅僧(?)のような気分がしてきたのだ(もちろん、実際に経験したことはない)。

通勤途上の品川駅のスターバックスで、インターネットが使えるようになった。会社の仕事を早く切り上げ、帰りがけにスターバックスに立ち寄り、ドーナツとコーヒーを横に置きながらPCに向かってぱたぱたと文章を書く。自由な時間が持てた開放感と、子供と自宅で奮闘しているだろう妻の負担への後ろめたさが少し。でも悪くはない。

2009年4月21日火曜日

商店街の昼食

4月19日(日)は、昼食を一人で食べることになる。近所にできたインド・ネパール料理店へ行ってみた。「エベレストキッチン」という店名が、何か割り切っていてヨイ感じがして気になっていたのだ。

内装は、いかにも日本のインド料理店という感じ。日曜日なのにランチメニューがあり、日替わりカレーセットを注文する。小さなサラダとラッシー、ほうれん草とチキンのカレー、ナンが出てきた。ナンは焼きたてで巨大。満腹になった。ほうれん草のカレーを私はそれほど好まないのだが、今回は結構おいしく食べられたと思う。税込み750円。店内のテレビでは、インド映画がかかっていた。

この町を私が気に入っている理由の一つは、商店街があることだ。人が生活している気配と雑多な感じが好ましい。だが、ここのところお店が少なくなってきて寂しい感じがしていた。自分の消費生活を振り返ってみても、スーパーマーケットとドラッグストア、通信販売でほとんどの買い物を済ませている。商店街で買い物をすることなど滅多になくなってしまっているので、商店街に活気がなくなってきたのは仕方がないことなのかもしれない。

「エベレストキッチン」には、日曜日の午後遅くにしては客が多くいた。こうしたお店はなくならないでほしいと思う。

2009年4月19日日曜日

江ノ島へ


4月19日(日)は天気がよく体調も回復してきたので、自転車で江ノ島へ行った。

つつじの花も、春の終わりの風も、初夏の気配がする陽射しも、どれも心地よく、大した疲れもなく江ノ島へ到着する。昨年末に来て以来だ。いつものようにヨットハーバーの突端(さざえ島というらしい)へ行き、休憩した。日頃の生活の中では最も解放された感じがする。藤沢市で育ったので安心する風景だからなのか、海と空の広がりや潮のにおいがあるからなのか。

復路は、自転車がなかなか前へ進まない。向かい風が絶え間なく吹いているからだと気付いた。往路の調子が良かったのは風に背中を押されたせいで、体力が回復しているわけではないことがわかる。権太坂の頂上付近では、スポーツ車に乗った女性たちにも追い抜かれた。

今日の走行距離は55kmほど。爽快だった。

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2009年4月16日木曜日

保育園の良い記憶


一人息子が3月に卒園した保育園には、良い印象がたくさん残っている。なぜ良い印象が多かったのか、思いつくままに書き記してみる。
息子の保育園からは、いつも明るい雰囲気が感じられた。
  • 園舎や設備は新しく、手入れも行き届いていた。設備投資も継続していたように思う。
  • 若い保育士が多く、彼らの動きはきびきびとしていた。彼らが独身で自身の子供を持っていないことは、育児ずれしておらず、一人目の子育てをしている私の視線に近いと感じられたのかもしれない。
  • 教室内の掲示物や各種の配布物は丁寧な手書きの手作りのもので、暖かさや愛情が感じられた。クリスマスの時期には、ベランダや園庭の庭木がライトアップされ、子供を引き取りに行くとき私の心も和んだ。
躾や教育についても満足できる内容だった。共働きで子供をほったらかしにしている親が、とやかく言える筋合いではないのだが。
  • トイレ、食事、好き嫌いの克服、着替え、歯磨き、挨拶や礼儀、ルールを守ること、などなど、必要なことはほとんどみな、息子は保育士から学んだ。教える内容も教え方も、納得できるものばかりだった。
  • 年次が進むと、英語やリトミックなどの時間が毎週もたれ、調理実習なども行われた。
  • 遠足や運動会、芋掘り、クリスマス会などの企画も丁寧に実施され、良い思い出になったのではないかと思う。年長クラスでのお泊まり保育やお別れ遠足も、息子にとって印象が深かったようだ。
息子の保育園には、父母の共働きの生活を支援しようとする姿勢が十分に感じられた。
  • 保育時間は朝7:00から夜21:00までであり、夕刻には軽食または夕食を選択して与えることができた。子供の引き取り時間が急に変更になるような場合にも、柔軟に対応してくれたように思う。また、土曜日も保育してもらうことができた。
  • ホール出口のホワイトボードや担任の保育士と取り交わす連絡帳には、その日の様子が毎日書かれていた。毎月配布される冊子は手作りの暖かい内容のもので、園の雰囲気が想像できた。3ヶ月に1度くらい、園での生活を撮影した写真が張り出され、購入することができた。こうしたもの一つ一つによって、共に生活する時間が短いことによる不安な気持ちが、ずいぶんと癒された。
警備や法令遵守に関する取り組みを適切に行っていた。私が子供だった頃には考えられなかった類の事項だ。
  • 門は電子錠で常に施錠され、手のひら静脈認証かインターホンによる保護者の本人確認が行われた。
  • 磁気カードと記録簿で登降園の記録を行っていた。登園時に伝達した人ではないと、降園時に子供を引き取ることはできない。離婚した一方の親が子供を養育できなくなり、保育園から子供を連れて行ってしまうことがあること、それを防ぐために子供を引き取る人を登園時に特定する必要があることを知ったのは、ずいぶん後になってからだった。
  • 病気の子供に薬を飲ませてもらうためには、医療機関の名前や投薬内容を与薬票という専用の紙に記入する。数日分のシロップ薬を一度に飲ませてしまうというような過誤を防ぐためだ。
  • 第三者機関の評価を自ら受けていた。
  • 対応基準が明確ではない個人情報保護にも、試行錯誤しながら真摯に取り組んでいたように感じられた。
仕事がある日の子供たちは、起きている時間を家庭よりも長く保育園で過ごし、両親とよりも濃密な時間を保育士や園児たちと持つことになる。保育園は拡張された家庭であってほしいと、共働きの私は期待していたのだろう。
何か鍵となるような要因をもっと見つけ出してまとめたかったのだが、なかなかうまくいかない。だが、もし二人目を授かっていたら、やはりこの保育園へ通わせただろう(抽選が当たればだが)と思っている。こうした印象は、どのようにすれば生み出せるのだろう。サービスというものは単純ではないと思われた。

2009年4月10日金曜日

初めてのお使い。通学の始まり。


一人息子の小学校の入学式が4月6日(月)に終わった。午後から会社へ行く。

その日の夕方に息子は初めて一人でお使いに行ったのだと、帰宅後に妻が教えてくれた。「一人で行けると思う」と息子は言い、1,000円札の入った財布を首から提げて、近くのスーパーマーケットでブロッコリーとヤクルトを買ってきたのだという。「レシートもらうのを忘れちゃったんだよ」と言いながら、息子は満足そうだった。

7日(火)から通常の登校が始まった。初日は校門の近くまで、息子と一緒に歩くことにする。同じクラスで隣の席になる子と途中で会った。この子はもう、一人で登校している。校門が近づいてきて、「もうここから一人で行く」と息子は言い、その子と一緒に私から離れていった。

8日(水)の朝は、小学校へ歩き始めてまもなく、「もう一人で行けると思う」と息子は言った。交通安全の黄色いカバーがかかったランドセルを背負い、大きな道具箱の入った袋を右手に、学童保育クラブで食べる弁当の袋を左手に持って、彼は川沿いの道を一人で歩いていった。荷物ばかりが大きい彼を見送りながら、私は電車の線路の方へ左折する。踏切の遮断機が下りたままだったのを幸いに、小さな後ろ姿が見えなくなるまで線路脇に立っていた。

自分の生活にきちんと立ち向かおうとしている小さな息子が愛おしい。そして、こうして自立しながら親から離れていくのだろうと思い、少し切ない。

学童保育クラブ


4月1日(水)は、一人息子が学童保育クラブへ通い始める日だ。小学校の校舎の一部屋が、学童保育クラブに割り当てられていて、朝8:30から夜19:00まで専従の職員が子供を預かってくれる。

始業式前の小学校はまだ人の気配がほとんどなく、何となく心細い。所定の部屋の前まで行くと、専従の職員と、先に来ていた先輩となる子供が二人、我々を迎えてくれた。不安そうな顔をしていた息子は、珍しく自分から「おはようございます」と挨拶し、下駄箱に靴を入れると、私にちょっとだけ手を振って先輩の子供と部屋へ入っていった。

物心が付いた頃にはもう保育園へ通っていた息子は、自分の境遇をきちんと受け入れている。初めての環境に立ち向かっている彼を、今は信頼することにして職場へ向かった。

保育園の最終日


3月31日(火)は、一人息子が保育園へ登園する最終日だった。卒園式の後も引き続き両親は働いているので、保育園は卒園式の後も3月末まで子供を預かってくれる。

桜が満開の道を歩き、息子に手を振って別れた後、初めて彼を保育園に預けた日のことを思い出した。一人息子を保育園に入れたのは、彼が8ヶ月になる頃だった。

最初に保育園へ彼を置いて離れるとき、彼は床に這ったままこちらに向かって手を伸ばし、泣いた。彼にとって両親から離れる初めての体験の不安が、こちらにも伝わってきた。その泣き顔は記憶に深く刺さり、罪の意識に転じる。職場へ向かう電車の中で、胃がむかむかとして吐き気を催した。罪悪感から吐き気を催したことは初めてだったし、自分の子への処遇 ― それも保育園に数時間預けるだけ ― が、これほど罪悪感を引き起こすと知ったのも初めてだった。

子の純粋さと一途さの反映で、親の心にも幾ばくかの愛情が灯った。

保育園に慣らすために、初めは短時間だけ預ける「慣らし保育」から始め、少しずつ保育時間を延ばしていく。2週間もすると、保育園に置いてくるときに泣くことはなくなってきた。彼も人並みに環境へ順応するし、整った設備と教育された保育士がそろった、優れた保育園だった。だが、保育士が撮ってくれた保育中の写真の中で、彼の笑顔が見られたのは3歳を過ぎてからだったと思う。それまでの彼の表情はいつも硬く、決して笑っていなかった。彼は休日を指折り数え ― 文字通り、指を折って数えるのだ ― 親のお迎えが早いことを望んでいた。

小学校に入学する今でも、親は自分の生活の仕方と育児に自信が持てないままでいる。

アンチウイルス・ソフトウェア

1月に購入したノート型PCに予めインストールされていたアンチウイルス・ソフトウェアの試用期限が迫ってきた。メーカーからのメールに従ってオンラインの優待価格でサービスを更新すると、4,725円かかることが分かる。同様のパッケージ版の価格をAmazonで調べてみると、2,748円。4割以上安価であった。送料もかからないので、当然Amazonで購入する。
メーカーの市場販売価格管理が不十分なのか、はたまたAmazonの価格戦略が挑戦的なのかは分からない。いずれにせよ、イメージが悪くなるのはメーカーであって、Amazonではない。初期導入ユーザーを誘因するために、パッケージ版の価格を引き下げたのだと思われるこの戦略は、十分に機能しているのだろうか。

私にとってアンチウイルス・ソフトウェアは...
  • バックグラウンドで勝手に動いてくれればよい。つまり、いつも使うわけではないので、使い方の慣れは必要ではない。
  • どのソフトウェアも機能は同じように見え、製品ごとの差異が分かりにくい。
重視する点と言えば...
  • 他のソフトウェアの動作が重くならないこと。
  • 継続利用時の価格が有利なこと。
...くらいだと思われる。

このため、2年以上のライセンス契約を割安価格で提供されたら、購入してしまっただろう。メーカー側も、販売時の利益は減少するかもしれないが、ライセンス期間中に競合製品に乗り換えられる恐れは減少する。また、長いライセンス期間中にPCが廃棄されれば、結果的にメーカーの利益になるだろう。

加えて、ライセンスの追加購入を優待してほしいとも感じた。我が家には、デスクトップ型PCとノート型PCが2台ずつ、計4台のPCがある。2台はマカフィー、1台はウイルスバスター、1台はカスペルスキーがインストールされている。ライセンスの追加購入が優待されれば、そのメーカーのみを選択するようになり、競合の排除につながると思われた。家庭では、複数のPCが同時に購入されたり、複数のアンチウイルス・ソフトウェアが同時に更新されることは少ないと考えられるので、5ユーザー用などの複数ライセンスパッケージは有効ではないだろう。