2009年12月10日木曜日

ビジネス書を読む理由と【脱「でぶスモーカー」の仕事術】

読む本の中で、ビジネス書の占める比率が高い。新しい知識やスキルを身につけるためにビジネス書を選んでいたこともあったが、近頃は、以前読んだような内容だったり関心から外れた分野を扱っていても、惰性のようにビジネス書を読んでしまう。

おそらく、仕事というものに真剣に立ち向かうための刺激がほしいからだと思う。現在の仕事が刺激的ではなくなっているのかもしれないし、仕事というものに少し飽きてきたということかもしれない。仕事が好きで、達成感を求めており、仕事で認めらたいと望んでいるのだが、集中力も関心も減退してきていると感じる。ビジネス書でも意識的に読むようにしていないと、ますます仕事に身が入らなくなり、怠惰でだめな人間になってしまいそうなのだ。ドリンク剤のようにビジネス書を求めるわけだ。

で、【脱「でぶスモーカー」の仕事術】を読む。

読む前は、減量や禁煙のようにビジネスでの改善の実行は難しく、それに取り組むための秘訣でも書いてあるのか、と思っていた。もちろんそんな秘訣は書いてなかったわけだが、この本は読んでよかった。組織運営やビジョンに対する考え方が、お復習いとしてよくまとめてある。ビジネスに取り組んでいる著者の真剣さや勢いが伝わる気がして、少し元気が出た。

印象に残った箇所を引用する。
・マネジャーを選定する際、みずからの成長をまず考えるエゴの持ち主ではなく、他人の成長を助けて充実感や満足を覚えるタイプの人を選びましたか? (いいえ!)
・誰かを批判したとき、その相手から「本当にありがとう。そういうことを指摘してもらえてうれしい」と言われたことのある人を選びましたか? (いいえ!)
・マネジャーへの報酬は、グループとして達成したことにもとづいておこないますか、それとも、ビジネスを生み、顧客にサービスした個人の業績にもとづいておこないますか? (両方ですが、個人の業績を重視しています!)
「つまりこういうことですね」と私は言う。「あなたの選んだ人たちは、マネジャーとしての仕事を望まず、マネジャーに必要な資質も示したことがない。そして、マネジャーの仕事以外のことで報酬をもらっている?」
これは自分のことだし、自分の会社のマネジャーのことだ。

Microsoft Excel 2007が無断で追加したスタイルを削除するマクロ

いつも使っているExcel 2003の個人用マクロブック(PERSONAL.XLS)に、かなり前から以下のマクロを仕込んでいる。エラーチェックも何もないひどいマクロだとは自分でも思うのだが、このマクロを実行するのはクサクサした気持ちの時が多いので、マクロの品質もクサクサしたもので良いのだ。

Sub DeleteUnnecessaryStyles()
    ActiveWorkbook.Styles("20% - アクセント 1").Delete
    ActiveWorkbook.Styles("20% - アクセント 2").Delete
    ActiveWorkbook.Styles("20% - アクセント 3").Delete
    ActiveWorkbook.Styles("20% - アクセント 4").Delete
    ActiveWorkbook.Styles("20% - アクセント 5").Delete
    ActiveWorkbook.Styles("20% - アクセント 6").Delete
    ActiveWorkbook.Styles("40% - アクセント 1").Delete
    ActiveWorkbook.Styles("40% - アクセント 2").Delete
    ActiveWorkbook.Styles("40% - アクセント 3").Delete
    ActiveWorkbook.Styles("40% - アクセント 4").Delete
    ActiveWorkbook.Styles("40% - アクセント 5").Delete
    ActiveWorkbook.Styles("40% - アクセント 6").Delete
    ActiveWorkbook.Styles("60% - アクセント 1").Delete
    ActiveWorkbook.Styles("60% - アクセント 2").Delete
    ActiveWorkbook.Styles("60% - アクセント 3").Delete
    ActiveWorkbook.Styles("60% - アクセント 4").Delete
    ActiveWorkbook.Styles("60% - アクセント 5").Delete
    ActiveWorkbook.Styles("60% - アクセント 6").Delete
    ActiveWorkbook.Styles("アクセント 1").Delete
    ActiveWorkbook.Styles("アクセント 2").Delete
    ActiveWorkbook.Styles("アクセント 3").Delete
    ActiveWorkbook.Styles("アクセント 4").Delete
    ActiveWorkbook.Styles("アクセント 5").Delete
    ActiveWorkbook.Styles("アクセント 6").Delete
    ActiveWorkbook.Styles("タイトル").Delete
    ActiveWorkbook.Styles("チェック セル").Delete
    ActiveWorkbook.Styles("どちらでもない").Delete
    ActiveWorkbook.Styles("メモ").Delete
    ActiveWorkbook.Styles("リンク セル").Delete
    ActiveWorkbook.Styles("悪い").Delete
    ActiveWorkbook.Styles("計算").Delete
    ActiveWorkbook.Styles("警告文").Delete
    ActiveWorkbook.Styles("見出し 1").Delete
    ActiveWorkbook.Styles("見出し 2").Delete
    ActiveWorkbook.Styles("見出し 3").Delete
    ActiveWorkbook.Styles("見出し 4").Delete
    ActiveWorkbook.Styles("集計").Delete
    ActiveWorkbook.Styles("出力").Delete
    ActiveWorkbook.Styles("説明文").Delete
    ActiveWorkbook.Styles("入力").Delete
    ActiveWorkbook.Styles("良い").Delete
End Sub

Microsoft Excel 2007は、それ以前のExcelのファイル(.xls)を編集するとき、勝手に上記のスタイルを勝手に追加する。数えてみたら41個。それも勝手に追加するのだ。私の知る限り、この機能をオフにするオプションはない。

私は自分で設定した4~5個のスタイルをほぼ常にかつ頻繁に使っている。ここに41個もスタイルを追加されてしまうと、スタイルのメニューが混み合ってしまい、自分で設定したスタイルを選択するのにとても苦労してしまうのだ。また、追加されたこれらのスタイルは、私の趣味に全然合わない。正直に言えば、大嫌いなデザインだ。

この“スタイル無断追加機能”をExcel 2007でオフにする手段については、かなり真剣に探したのだが、今のところ見つかっていない。一度気になるともう我慢ができないので、このマクロをExcel 2003側に入れて使っているわけだ。マクロを実行するときは、Excel 2007への呪詛で、頭がいっぱいになっている。

Microsoft Excelには初期のMac版から、かれこれ20年以上もお世話になっているのだが、こうした“余計なお世話”機能にはいつも閉口する。Wordのオートコレクトやオートフォーマットも不要だったが、これらはオフに設定することが容易だった。この“スタイル無断追加機能”、リボンインタフェースと同時に、Excelから直ちになくなってほしいと願っている。

2009年12月8日火曜日

Google 日本語入力のキー設定のモード、コマンドなど

引き続きGoogle 日本語入力について、今日までにわかったことをいくつか記録しておく。

■カスタムのキー設定について。
(1) モードで選択するのは、以下の6つ。

  1. DirectInput
  2. Precomposition
  3. Prediction
  4. Composition
  5. Conversion
  6. Suggestion

(2) 選択できるコマンド

  1. Abort
  2. Backspace
  3. Cancel
  4. Commit
  5. CommitFirstSuggestion
  6. CommitOnlyFirstSegment
  7. Convert
  8. ConvertNext
  9. ConvertNextPage
  10. ConvertPrev
  11. ConvertPrevPage
  12. ConvertToFullAlphanumeric
  13. ConvertToFullKatakana
  14. ConvertToHalfAlphanumeric
  15. ConvertToHalfWidth
  16. ConvertToHiragana
  17. ConvertWithoutHistory
  18. Delete
  19. DisplayAsFullAlphanumeric
  20. DisplayAsFullKatakana
  21. DisplayAsHalfAlphanumeric
  22. DisplayAsHalfWidth
  23. DisplayAsHiragana
  24. IMEOff
  25. IMEOn
  26. InsertAlternateSpace
  27. InsertCharacter
  28. InsertFullSpace
  29. InsertHalfSpace
  30. InsertSpace
  31. MoveCursorLeft
  32. MoveCursorRight
  33. MoveCursorToBeginning
  34. MoveCursorToEnd
  35. PredictAndConvert
  36. ReportBug
  37. SegmentFocusFirst
  38. SegmentFocusLast
  39. SegmentFocusLeft
  40. SegmentFocusRight
  41. SegmentWidthExpand
  42. SegmentWidthShrink
  43. ToggleAlphanumericMode

(3) 入力キーで分かりにくいもの。
半角/全角キーが選択できない。OFFとONのようにも思えるがうまく動作しないようだ。後は概ね問題なく設定できるようだ。

  1. ESC
  2. Tab
  3. Eisu
  4. Muhenkan
  5. Space
  6. Henkan
  7. Kana
  8. Hiragana
  9. ASCII
  10. Backspace
  11. Enter
  12. Insert
  13. Delete
  14. Home
  15. End
  16. PageUp
  17. PageDown
  18. Left
  19. Up
  20. Down
  21. Right

2009年12月6日日曜日

Google 日本語入力のカスタムキー設定で、シフトキーは不要だった

Google 日本語入力のキー設定をカスタムで使用するとき、コントロール・キーとシフト・キーの同時使用がうまく認識されないと書いたが、誤りだった。
 status        key             command
Conversion    Ctrl Shift j    SegmentWidthShrink
...ではなく...
Conversion    Ctrl J          SegmentWidthShrink
とすれば、問題なく動作した。私が迂闊であった。

で、長年使い込んできたATOKに不満はないのだが、サジェストが面白いのでついつい使ってしまう。

Google 日本語入力の品詞を調べ上げた

Google 日本語入力のユーザー辞書に、既存の辞書データをインポートするため、品詞を調べ上げてみた。
  1. 名詞
  2. 固有名詞
  3. 人名
  4. 組織
  5. 地名
  6. 名詞サ変
  7. 名詞形動
  8. アルファベット
  9. 記号
  10. 副詞
  11. 連体詞
  12. 接続詞
  13. 感動詞
  14. 接頭語
  15. 助数詞
  16. 接尾一般
  17. 接尾人名
  18. 接尾地名
  19. 動詞ワ行五段
  20. 動詞カ行五段
  21. 動詞サ行五段
  22. 動詞タ行五段
  23. 動詞ナ行五段
  24. 動詞マ行五段
  25. 動詞ラ行五段
  26. 動詞ガ行五段
  27. 動詞バ行五段
  28. 動詞一段
  29. 動詞カ変
  30. 動詞サ変
  31. 動詞ザ変
  32. 形容詞
  33. 句読点
  34. 括弧開
  35. 括弧閉
長年ATOKで使い込んだユーザー辞書を移植したら、これがまた快適。

2009年11月10日火曜日

江ノ島、ジャイアンツ、野球盤

11月8日(日)は、午前中にまた自転車で江ノ島へ行く。



午後は家族と横浜駅周辺へ買い物へ。

息子が期待していたジャイアンツの優勝記念セールは、どこにも見あたらない。もう、そういうのは流行らないんだと改めて実感する。

ジャイアンツの帽子をかぶり、野球の話を嬉しそうに語り、エポック社の野球盤をほしがるような子供は、息子以外にいないようだ。ジャイアンツの優勝がとても大きな事件である彼が、ちょっと不憫に思えた。

2009年11月3日火曜日

久しぶりに富士山を見た

自転車で江ノ島に行ったら、木枯らしに吹かれた空の向こうに富士山がきれいに見えた。富士山をきちんと見たのは、何年ぶりだろうと思う。小学生の頃は毎日見ていたのだが。



思えば、小学校、中学校、高校とすべての校歌で富士山が歌われていた。建て替える前の実家では、子供部屋の明かり取りの窓からも富士山が見えた気がするが、建物に隠れて見えたはずはないようにも思える。記憶がどんどん曖昧になってきている。

父親が介護施設に入る日

10月25日(日)は、妻と息子を連れて実家へ顔を出した。翌日26日(月)から父親が入所する介護施設の申込に保証人が必要とのことで、珍しく兄に電話で呼び出されていた。

大体月に1回は実家へ顔を出すようにしている。父親が91歳、母親が86歳。典型的な老老介護だ。兄が同居しているが、仕事へ出ている間、母親への負担が大きくなりすぎるため、父親は介護施設に入ることになったようだ。母親はここ1、2年、補聴器を付けても会話が聞き取れないことがある。同じ話を何度も繰り返すことも多くなった。

実家に上がると、大きな鞄3つに、いっぱいに荷物が詰まっていた。運び出しやすいよう、和室の窓際に揃えてある。そそくさと入所書類に記入して捺印し、取り留めもない世間話をする。

「体が動かないような人とかね、重病人が入るような施設じゃあないんだよ。体が動くようになったらね、帰ってくるから。下見に行ったんだけどね、新築でぴかぴかなんだ。」

父親は1年ほど前から歩くのが不自由になり、歩行器を使うようになっている。どれくらいの期間、入所する予定かを尋ねたら、とりあえず3ヶ月だという。
「正月はどうするの?」 不用意に聞いてしまった。
「希望すれば一時帰宅とか、できるし。」 曖昧に兄が引き取った。

夕方、テレビで「笑点」を見、出前の鮨を囲んだ。子供の頃にも何度となく「笑点」を見、出前の鮨を食べたはずだが、とてもとても遠い。

帰りがけ、息子にさよならを言わせる。息子も父親も、何度も手を振った。父親はいつものように笑っていた。受け入れている、ということが何となく伝わってくる。父親との距離は遠いのだとわかってきた。父親のことなんて、知らないことばかりだ。

不意に、胃の上の部分と眼の奥が痛くなる。これは、泣いている息子を保育園に置いてきた最初の日と似ていると思った。これは人倫の問題にはならないのか。今日、父親は笑っていたが、制度や社会を都合よく利用できるのをいいことに、私は何かを放棄し、何かから逃避しているのではないのか。

そして唐突に、自分の子供を一所懸命に育てようと思う。来年2月には二人目が生まれる。私も何か、受け入れることができるような気がしてきた。

2009年10月25日日曜日

ツイッターを使ってみたが、居心地が悪い

ツイッターを始めたが、居心地が悪くて全然続かない。いくつか書き込みをしてみたが、読み返してみたら耐えられなくなったので、全部消してしまった。この居心地の悪さが何かと思っていたら、この書き込みで言及されている「気持ち悪さ」が割と当てはまっている感じがした。

2009-07-27 なんとかなう問題
http://d.hatena.ne.jp/RRD/20090727/1248682147

ま、ツイッターの使い途は「なう」だけではないと思われるので、もう少しいじって考えてみたいと思っている。

2009年10月18日日曜日

メールと掲示板

会社のグループウェアをロータスノーツ(Lotus Notes)からINSUITE/Sma@rtDBへ移管することになって、職場での情報をどのように共有していけばよいのかについて改めて考えている。
さしあたって、複数の受け手を対象として情報を発信する際(複数の人によるディスカッションは、とりあえず対象から外しておく)、メールと掲示板はどのように使い分けるのがよいのだろう。
  • A 同報メールを送る。
  • B 掲示板に掲示する。
という選択があって、さらに掲示板では、
  • A-a どういう組織・職掌ごとに掲示板を作るのか。
という選択を行うことになる。

A 同報メールのメリット
  • 送り手の心理的ハードルが低いため、情報が発信されやすい。
心理的ハードルが高いと、メッセンジャーや電話を使われてしまったり、情報を発信すること自体を止めてしまう可能性すらある。心理的ハードルとしては...
  1. 読まれたくない人、特に階層の離れた上司(社長とか!)に読まれてしまう。
  2. 発信した情報に誤りがあったときのリスクが大きい。
...などが考えられる。
  • ほぼ確実にかつ速やかに、受け手に情報が届く。
メールは私信としてほぼ毎日読まれるが、掲示板は見逃されたり見る頻度が少ない場合がある。特に、多くの掲示板が乱立していると、その可能性も高まる。

B 掲示板のメリット
  • 情報の用途や対象が限定されており、結論や結果に近い情報が掲示されることが多いため、メールと比較して情報を再利用しやすい。
データベースの横断検索やデスクトップ検索などの検索プログラムによって、情報の再利用は極めて容易になった。だが、対象となる情報量が余りに多くなってきているので、希望する情報へ到達することが難しいことも多い。扱う事項が部門横断的だったり過去長期間に渡ると、キーワードを工夫しても検索結果が多くなりすぎてしまうことがある。
  • 送り手が予期していなかった受け手も参照することができる。
異動や組織変更が頻繁にある中で、異なる担当者が10年後にも情報を受け取ることができる。異動や組織変更があっても、個人のメールの内容が引き継がれることは今後も期待できないし、もちろん自分もしたくない。
また、送り手の想定していなかった他部門の人が、同様の課題を抱えており、その情報を活用する可能性は十分にある。情報自体の活用を超えて、受け手が他部門の業務内容を知り、予期せぬ相互の協力関係が生まる可能性が捨てられない。すべての情報をメールにできない大きな理由がこれだ。

引き続き、考えていくことになる。

2009年10月17日土曜日

ノーマライゼーション

自分が担当する職場の部署に、聴覚障害を持った社員が入って3ヶ月ほどになる。障害を持った人を自分のチームに迎えるのは初めてのことだ。

聴覚障害を持った人に関する知識を事前に収集する。独立行政法人高齢・障害者雇用支援機構(http://www.jeed.or.jp/)が作成するパンフレットは役に立った。スタッフへの啓蒙のために20部ほしいと依頼したら、ありがたいことに即座に無償で送ってくれた。

顔合わせの面接で、まとまった量の筆談を初めて体験する。口頭では考えもなしに使っている「それでさー」とか「関係ないかもしれないけどさー」などの会話をつなぐ接続句(のようなもの)や、「~だよねぇ」とか「~じゃん」などの文末のニュアンスを表す句を、どのように取り扱えばいいかが分からない。書くのが億劫になってぶっきらぼうな印象になるのは嫌だが、言いたいことを書くのに時間がかかるのは、まだるっこしい。

筆談では、友人宛のカジュアルなメールを書くような文章・文体を使うのが良いと、今では考えている。まず最初に、筆談でも挨拶すること。「こんにちは」でも「元気?」でもいい。こうすると、相手の考えや意見ではなく、相手自身にこちらの関心があることを示すことができるような気がする。また、筆談では文字と筆記具ばかりを見がちになり、相手と顔を合わせることが少なくなるのもいけない。字は汚くなったとしても、書きながらできるだけ顔を持ち上げて相手の顔を見るようにし、こちらの表情からもメッセージやトーンが伝わるように心がける。確かに、手話ができればその方がはるかに効率的なのだろう。手話の入門書は購入していたが、早々に挫折した。

入社から1ヶ月ほどして、この人は、「社会」とか「職場」に接した経験が極めて少ないことが分かってきた。聴覚障害を持った人が一般的にそうなのかは知らない。
  • 遅刻をしない。
  • 勤務時間中は担当する業務に集中して取り組む。
  • 遅刻をせず勤務中に業務に集中するために、仕事の前日は早く寝て睡眠を十分に取る。
  • 仕事を休むときは、速やかに会社へ連絡を入れる。
  • 分からないことや困ったことがあったら、自ら伝える。
  • etc.
こうしたことから伝えていかなくてはならない。聴覚障害よりも、常識(と私が考えていたもの)の違いの方が、乗り越えるのが難しいかもしれない。

このままでは彼はおそらく、私の会社に定着することはできないだろう。彼は自分の居場所を社会のどこかに見つけることができるのだろうか。

2009年10月10日土曜日

ロータス・ノーツの文書の書き出し

会社のグループウェアが、ロータスノーツ(Lotus Notes)からINSUITE/Sma@rtDBへ移管されることになった。

10数年来使ってきたノーツには、極めて多くの情報が蓄積されている。新しい環境へすべての情報を移管するのは無理だとしても、ノーツがなくても過去の情報を検索/参照できるようにしたいと強く思っていた。これまでも何度か、ノーツデータベースのすべての文書をノーツの外部へ一括して取り出す/書き出す方法について調べたことはあったのだが、リッチテキストや添付ファイルを適切に書き出すことができなかった。

解決策を探して検索を続けていたら、Lotus Notes HTML Export Plug-Inに出会うことができた。
ビューと文書をHTMLのファイルで書き出すことができ、画像や表が貼り込まれたリッチテキストフィールドや添付ファイルも変換してくれる。HTMLファイルなので、全文検索はデスクトップ検索で行えばよく、ノーツに保存された古いコンテンツを保存/参照するには十分な結果が得られた。インストールや操作も簡単なので、一般のスタッフにも勧められる。作者の方には感謝するばかりだ。

このプラグイン、インターネット上では余り話題になっていないのか、Googleの検索にはかかりにくいように思われたが、この機能を必要としているノーツのユーザーはとても多い気がする。とりあえず、社内には吹聴して回ろうと思う。

2009年9月28日月曜日

海の色

9月の休日には、4回ほど自転車に乗ることができた。

久しぶりの江ノ島では、海の色が濃く緑がかっていた。すっかり秋になったのだと思う。7月末に来たときと比べて、驚くほど人が少ない。海岸では、海の家も取り壊されていた。

江ノ島、9月6日(日)

江ノ島、9月13日(日)

江ノ島、9月23日(水)

八景島、9月27日(日)

2009年8月12日水曜日

横長の画面

会社のPCのモニタが横1,920×縦1,080の横長になって、どうすれば横長画面が使いやすくなるかを考えることになった。

24インチ、横1,920ピクセルのモニタを奥行き70cm程度の通常のデスク上で使うと、画面の横方向すべては視野の中心に入らない。人が集中して見ることができる範囲は縦も横も10~20°くらいの視野角の範囲内に限られるようで、この視野角から外れる部分を見ようとすると、大きく目を動かすことになる。これが思考を中断させたり疲労の原因になったりして、見づらいと感じさせると思われた。

文字が主体のアプリケーションでは、文書ウインドウを最大化して横長にすると極めて使いにくい。横40文字×縦40行に配置していた1,600字の文章を、横80文字×縦20行に配置すると一度に全体を把握するのは困難になる。Windowsのウインドウ右上にある最大化ボタンは、役に立たなくなった。ユーザーが設定したウインドウの位置とサイズを記憶・再現する機能が、別途あるとよいと感じる。デスクトップインタフェースを根本的に再考する時期が来ているのではないかとすら感じてしまう。

コマンドを選択する仕組みが、画面の左端または右端に配置できると便利なようだ。AdobeのPhotoshopやIllustratorでは、画面右のパレットを縮小させる必要がなく快適だ。また、これまでのMicrosoft Officeのツールバーは、フリーツールバーとして移動やサイズ変更ができ、カスタマイズも自在なので、横長画面環境に合致している。

因みに、Microsoft Office 2007のリボンインタフェースは、ここでも使えなさぶりを発揮しているようだ。その一方で、iGoogleのインタフェースが先日変更され、タブ選択を画面左側で行うようになったのは、画面の横長化に対応しているような気がする。

複数のアプリケーションを使い分ける際には、画面を横方向にいくつかのブロックに分けて使うようにした。今のところ、左端はデスクトップ用にした。作業中のファイルはデスクトップに保存するという習慣があるためだ。右端はGoogle Desktopのガジェット用にキープ。それほど便利だとは思えないので、ランチャーか何か別のユーティリティを常駐させるかもしれない。中央左と中央右は中心となる作業用。常時起動しているグループウェアや電子辞書は中央右に、エディタやブラウザなどは中央左に、縄張りを分けて表示するようにしている。

今後は、横長画面を快適にするフリーのユーティリティソフトを探索してみたい。

2009年7月20日月曜日

疲労と衰え

7月20日(月)の海の日は、家人と子供が外出している時間を利用して、自転車で江ノ島へ行った。

まとまった時間自転車に乗れるのは、何週間ぶりだろう。風邪気味かつ久しぶりなので体力が心配だったが、往路は順調にペダルを踏み込めた。これからお祖父さんみたいな歳のお父さんになるので、とにかく健康だけは積極的に維持しなければというようなことばかり最近考えている。

天気は曇りがちだったが江ノ島周辺には夏が満ちあふれていて、陽射しも空も風も心地よい。

復路の途中、大船を過ぎたあたりから急激に疲労してくる。水の中を走っているんじゃないかと思うくらいペダルが重くなり、集中力も落ちてきた。自転車のコースがふらついてきて、歩道との段差でよろけたりしたので、これはちょっと危険かもしれないと感じる。朝食を取ってから時間が経っており、途中の栄養補給も十分ではなかったのだろう。コンビニエンスストアでチョコレート菓子を買って、スポーツドリンクで一気に流し込んだら少し回復した。

無理が効く年齢ではないのだと改めて思う。疲労が急激にやってきて、思う間もなく足が動かなくなり、どうすることもできなかった瞬間が心に応えた。こんな風に突然体力が衰えて、老いに打ち負かされてしまうのはまだ御免だ。

横長のモニタ

会社のPCを5年ぶりに更新し、24インチのモニタを選択した。解像度は1,920×1,080で、これまで使っていた1,280×1,024と比べると、58%もピクセル数が増えたわけだ。モニタは大きい方がよいと単純に考えて24インチを選択したのだが、横長の画面になかなか慣れない。20数年PCを使ってきて、モニタの表示ピクセル数が増えたのに使いにくいと思ったことは初めてだった。

これくらい縦横比が大きいと、画面の左端で意識を集中しているときに、画面の右端が視界に入ってこないのだ。画面の右端にGoogle Desktopのガジェットでもたくさん表示させようかとも思ったが、どうせ大して使わないし、整理下手で机の上を物置にしているやつみたいで嫌だったので、やめた。

横長画面のモニタを仕事で快適に使うための方法を、明日から研究することにする。

2009年7月9日木曜日

眠い

近頃、仕事中に眠くなってしまう。

先ず以て、睡眠不足なのだ。この4月以降、朝は6:00前に起きるようになったのに、何故か夜に眠くならない。何となくPCに向かって、取り留めもなくウェブサイトを見たり、PCの設定をいじったりしてしまう。

仕事にも緊張感がない。切迫したプロジェクトはなく、ゆるゆると1日を通り過ぎることができてしまう。本当は、切迫したプロジェクトを作り出さなければならないのは自分自身なのだ、ということは分かっている。

これは、睡眠障害というのだろうか。

通勤電車の社内では、ハロルド・ジェニーンの「プロフェッショナルマネジャー」を数年ぶりに読み返している。今の自分は、全く以てほど遠いところへ離されてしまった。
本を読むときは、初めから終わりへと進む。
ビジネスの経営はそれとは逆だ。
終わりから始めて、そこへ到達するために出来る限りのことをするのだ。
私は先ず、「終わり」を自ら定めなければならない。そして、そこへ到達するために、とりあえず今日は早く寝よう。

2009年6月29日月曜日

家族というもの

6月27日(土)に家人は二度目の産科を受診し、身長1cm余りの胎児に心臓の鼓動が始まっていることを確認してきた。予定日が来年2010年2月8日(月)であることは、初回の受診で知らされている。長男はもう、生まれてくる弟または妹の名前を考え始めている。今日6月29日(月)に、妻も私も会社の上司に状況を伝え、サポートをお願いした。

いろいろなことが起こり始め、スピードが速くなってきている気がする。

妊娠が分かってからのこの3週間、とにかく気にかかったことは、
  • この子に経済的な苦労を感じさせずに、教育機会を与えて成人させることができるか。
  • そのために必要となる自分の健康を、今後20年間は維持できるか。
というようなことばかりだった。また、
  • ダウン症などの障害を胎児が持っていたら、自分はどのように対応すればよいのか。
ということも、繰り返し考えた。

反応的ではなく主体的に、生活する目的を再構成して集中できるようになるまでに、もう少し時間がかかりそうな気がする。私は家族というものと、どのように関わっていきたいのだろう。

2009年6月7日日曜日

初夏の陽射し


6月7日の日曜日、天気がよいのでまた自転車で江ノ島へ行く。いつの間にか春が終わっていて、初夏のような陽射しだった。

ここ数ヶ月は少なくとも月に100kmは自転車に乗れており、体も軽い感じがしたのだが、不得意な坂を避けるコースを取る。坂と言っても高低差はおそらく6~70mほど、勾配もさほどきついわけではないのだが、積極的に挑戦する気持ちになれなかったのだ。

挑戦しないから老け込むのか、老け込んできたから挑戦できないのか。

より大きな地図で 保土ヶ谷から江ノ島まで2 を表示

大変

6月6日(土)の朝、まだ布団の中で起きようか起きまいか悩んでいるとき、洗面所の方から「大変だ~」という家人の声がした。妊娠したという結果が検査薬に出ているとのこと。検査薬のパッケージには「99%」という確度が大きく表示されている。

かつて、家人と私は不妊治療を受けていた。2002年に長男が生まれるまでの数年間、様々な検査、定期的な注射と受診、投薬とそれによる不快感に、家人はずいぶん苦労したと思う。二人目がほしいと思ってからも、投薬や人工授精を2年くらいは続けた。医者での治療を諦めてからも、漢方薬とかホメオパシーとかに出費を重ねた。私が45歳になる頃に治療に類することはすべて止めていたので、今朝は「大変だ~」ということになったわけだ。

「大変だ~」となって感じたことを書いてみる。
  • ほっとしたような、安心したような感じがした。これは、一人しかいない子供が、何らかの理由で失われることを考えるととても不安だったからだと感じられる。彼は今のところ健康で失われる理由など見あたらないのだが、彼を愛しいと思うほど失うことが不安になってくる。その反動で、彼に対して過剰に濃密に接触しているようにも思われた。
  • また、兄弟の存在は成長期に心を育む上でとても有意義なものであると思われ、それを息子に与えられなかったことを負い目に感じていたことも背景にあるように思う。
  • 一方で一人目の時に感じた、飛び上がるような喜びはなかった。
  • 経済的な問題が発生しないか心配になった。二人目が生まれる年の夏には、私は47歳になる。十分な経済的援助を家族に与えられなくなる可能性はもちろん、親が高齢であることを子供が負い目に思ったりすることが心配だった。私自身、父が45歳、母が40歳のときに生まれ、親が高齢であることと経済的な不安がずっと気にかかっていた。
  • 一人目のために購入したベビーカーや衣類や玩具などを、かなり捨ててしまったり人にあげてしまったことが悔やまれた。

家人はまだ医者に行っていないので、正確なところはわからない。でも私は「育児するお父さんモード」になってきている。一人目の時以上に、良い親になりたいと切に思う。

2009年5月30日土曜日

行為の名詞化

例えば電車を待っている駅のホームで、目や耳にする言葉の表現に違和感を感じることがある。
「駆け込み乗車はお止めください。」
「電車遅れが発生しています。」
どうして...
「(乗車するとき)駆け込まないでください。」
「電車が遅れています。」
...ぢゃないんだろう。
動名詞(行為を名詞化したもの)+する
という形式が選ばれていて、
目的語+動詞
という形式は排除されているようだ。

動名詞には、その行為が一般的に持つ周辺の意味が付随するので、伝達されるイメージが自然と豊富になるからだと思えた。「登山する」と言うと、服や靴や帽子をそれらしく着け、リュックや各種の装備を持って、スポーツや趣味で行うイメージがする。これが「山に登る」だと、そうしたイメージは弱まり、山の高いところへ移動するという行為のみが主に想起される。

ただ、ここで伝わると期待されるイメージは、その時点で「一般的」なものになってしまうだろう。このため、メッセージ全体が喚起する意味の広がりや豊穣さは失われ、表現としては退屈になることもある気がする。また、このイメージの具体像は受け手に委ねられているので、送り手の意図が必ずしも伝わるとは限らないという意味で、正確ではない。マニュアルや規定、ビジネスライティングなどで使用するには、この動名詞の定義を明確にすることが必要だろう。

これは、古語の枕詞や序詞が使われた方向と似ているのかもしれない。「たらちねの母」が「母」より豊富なイメージを持つようにだ。

2009年5月17日日曜日

舌を噛む練習

人と話すとき、特に仕事の会議で議論するときに、同意できない意見に出くわす。自分の感情がコントロールできていないと最も感じるときだ。つい自分の「正しい」意見を押し通してしまう。相手の弱点を突いて論破してしまう。説得されたように見える相手は議論を終結させるが、共感も同意もしていない。

45歳になっても、分かってはいるのだが実行できない事柄の数は、一向に減らない。新しい考え方に出会うことは、だんだんと少なくなっているのだが。

カーネギーの「人を動かす」を読んだ。そう、頭では分かっているのだ。議論に勝つ唯一の方法は、議論を避けることだと。だが今の自分はまだ...
  • 発言すること、感情を吐露すること自体が目的になってしまっている。発散や開放に引きずられてしまうのだ。
  • 引き続いて起こるであろう事象を、その瞬間に予測できていない。自分が議論に勝つことと、自分の望む結果・状態を得ることが、結びつかない。
  • 工夫やアイデアが不足している。一瞬の感情の発露を抑えるための「舌を噛む」工夫だ。
とにかく、相手が存在することの価値を認めて表明しようと思う。「おもしろい意見ですね」、「私には考え付かなかった」と言い、相手を肯定するように質問し、否定的であることを気付かせないようにしていかねば。

人を説得する十二原則
  1. 議論を避ける
  2. 誤りを指摘しない
  3. 誤りを認める
  4. おだやかに話す
  5. 相手が“イエス”と答えられる問題を選ぶ
  6. 相手にしゃべらせる。
  7. 相手に思いつかせる。
  8. 人の身になる
  9. 相手の考えや希望に対して同情を持つ。
  10. 美しい心情に呼びかける
  11. 演出を考える
  12. 対抗意識を刺激する

忘れていたこと

自分がいつの間にか変わってしまっていることを実感する。
  • 子供の頃はテレビをたくさん見て(1日5時間以上は見ていた気がする)、漫画ばかり読んでいたのに、自分の息子がテレビばかり見ていると、もっと他のことをさせなければと感じる。
  • 高校生の頃、進学校へ通っていたことが自信になっていたくせに、学歴社会を批判したり、学校で勉強する意味なんかないと授業をさぼってゲームセンターに行ったりした。自分の息子が授業をさぼってゲームセンターに入り浸ったりしたら、自分はそれを認めてやれるだろうか。
  • 大学は2年生の途中から行かなくなり、結局中退してしまった。本当は、自分の能力が足りず、勉強に付いていくのが億劫になっただけなのに、中退を正当化する理由を探し回った。自分の息子が学校へ行くのは嫌だと本気で言ったら、自分はどうする?
五味太郎さんの「大人問題」という本を読んで、自分は昔と変わってしまったこと、作者はきちんと初源の自己を保存していると感じた。
そして、少し思い出したことがある。
  • 個人は本質的に自由であること。
  • 社会や共同性に先立って個人があり、その逆ではないこと。
  • 制度や規範は「とりあえず」のものであって、唯一絶対ではないこと。
もう少し。
  • 自分は、人に優しくする方法をまったく知らなかった。人からは優しくしてほしかったくせにだ。異性に好かれたいと切望していたが、こんな私に好意を寄せる人など全くいなかったのは、もっともだ。
ずいぶんと親に反抗していた。何が不満だったのだろう。
  • アマチュア無線の無線機を買ってもらえなかったこと。
  • 好き嫌いが多く、母親の料理が口に合わなかったこと。
  • 些細な言い間違いや親の知識不足。
  • 他の家庭に比べて、家が貧しいと思えたこと。でも、今思い起こすと、毎週の少年マガジンも、毎月の科学と学習も、プラモデルも、電子工作用の部品も、百科事典も、学習書も、不自由はなかった気がする。家が古い木造だったから?
今、息子を見て思うこと、息子と私との間にある葛藤と本質的に何も変わりはないことがわかる。

「すべてにおいて精神が疲労しきって」いる自分には、五味太郎さんの言葉は少し痛いが、こういう刺激は定期的に必要だと思えた。

2009年5月4日月曜日

また江ノ島へ

5月3日(日)は、また自転車で江ノ島へ行った。

自分の体力に合ったちょうど良い距離で、達成感のある目的地というと江ノ島になってしまう。気温23度で曇り、往路は向かい風が強かったが、前回に比べて楽に自転車が前へ進む。少しずつ体力が回復してきたのかもしれない。いつものようにさざえ島で休憩し、復路につく。前回江ノ島へ行ったとき疲れてしまった権太坂でも、それほど辛い感じはなかった。

体力が落ちてきたこと、風邪を引いても直りにくくなったこと、メニエール病の目眩がなくならないこと。自分の体の調子に耳を澄ませるようにして、体力や健康について考えることが最近多くなった。

この調子で走れるようなら、夏までには70kmくらいまで距離を伸ばしてみたい。距離を伸ばすことが健康であることの証で、その証を手に入れたいと感じているからだ。

2009年5月3日日曜日

仕事の空白

突発的に、職場で何をするべきか分からなくなった。道に迷って歩き回っているときのように、現在正しい方向へ進んでいるのか、何をするのが今一番正しいのか、突然自信がなくなる。

景気が後退しているからなのだろう、日々処理しなければいけない仕事の量が減ってきた。こうした現状をどのように解釈すればよいのか、どうすれば仕事の量が増えるのか、何をすれば競争環境の中で生き残れるのか、何を選択し何に集中すればよいのか。小さいとはいえチームのリーダーである立場としては、メンバーのみんなにはっきりと示したいと強く思う。

まず、焦点を合わせる広さがつかめない。これまで着手できなかった改善を進行させるべきなのだろうか。変化の時期だととらえてまったく新しい可能性を検討するべきなのだろうか。組織や業務手順の問題点に集中するべきなのか、顧客や競合の情報から何か機会を探し出すべきなのか。

これまでの自分の仕事が如何に、組織や他人からの要求や、周囲の都合に規定されていたのかを思い知ることになる。周囲から要求された仕事に忙しいときには、会社のビジョンの欠如や上司のリーダー能力の不足を心の底から憤っていたのに、自分自身がビジョンを策定し、リーダーシップを発揮できるエアポケットのような時間を得られた今になって、何をすべきかわからないとは情けない。

とりあえず、自分の最低限の職業倫理として、ビジョンを策定し取り組むべき具体的な課題を示すことから逃げないようにしよう。誤るかもしれないが、判断を先延ばしにし状況が変化するまで待つわけにはいかない。他にやることがないのだったら、やっても損にはならないしな.....

2009年4月29日水曜日

海の公園、現代美術

天気が良く、妻と子供が外出したので、自転車で八景島の海の公園へ向かった。

ここのところ少しだけ自転車に乗るようになって体が慣れてきたのか、思ったより疲れもせずに到着する。人出が多く、満車の駐車場に入場を待つ車が道路の左手に渋滞していた。海辺も夏を思わせるような混雑ぶりだった。いつものようにバーベキュー場で一休みして折り返す。走行距離は35kmほど。


より大きな地図で 保土ヶ谷から八景島海の公園まで を表示

蕎麦屋に寄って昼食を取り、帰宅してシャワーを浴びた後、横浜美術館金氏徹平展を見に行った。何か楽しくなるような気分、ユーモアのようなものが感じられ、重さや縛り付けられるようなところがなく、かと言って軽薄でもなく、心地よい作品だった。

職業とした以上、アーティストは、どこかで見たような意匠、誰かが以前に作ったような形象を拒否して、新しいイメージを作り出すのに必死なのだろうと勝手に想像した。今日見た作品は、新しいイメージに届いていながら、必死さや意味付けの重さから解放されているように思われ、何となく明るい気分になった。

2009年4月26日日曜日

公衆無線LANサービス


公衆無線LANサービスに加入した。フレッツスポットを選ぶ。
  • 私の狭い行動範囲にアクセスポイントが多くあった。私はマクドナルドへは滅多に行かないが、スターバックスには行くことがある。私が行くスターバックスにはフレッツスポットがあった。
  • 自宅でフレッツ光を使っていた。ネットワークから申し込みができ、支払い口座を新規に作成しなくて良いという容易さがあった。
  • 毎月840円の価格は妥当だと感じられた。
...あたりが選択の理由だと思われた。

新しいノート型PCを1月に購入したので、家人に煩わされない環境でPCを使うことができるようになっていた。使っているうちに、これをインターネットに接続したいと思ったわけだ。Googleの幅広い便利なサービス、使っていることを意識しないで済むDropBoxのファイル共有、Wikipediaやその他様々な情報ソース、多くの生活必需品を依存するようになったAmazonを始めとするショッピングサイトなど、インターネット接続への誘惑には抗しがたいものがあった。インターネット接続しないでPCを使っていると、俗を絶って修行中の禅僧(?)のような気分がしてきたのだ(もちろん、実際に経験したことはない)。

通勤途上の品川駅のスターバックスで、インターネットが使えるようになった。会社の仕事を早く切り上げ、帰りがけにスターバックスに立ち寄り、ドーナツとコーヒーを横に置きながらPCに向かってぱたぱたと文章を書く。自由な時間が持てた開放感と、子供と自宅で奮闘しているだろう妻の負担への後ろめたさが少し。でも悪くはない。

2009年4月21日火曜日

商店街の昼食

4月19日(日)は、昼食を一人で食べることになる。近所にできたインド・ネパール料理店へ行ってみた。「エベレストキッチン」という店名が、何か割り切っていてヨイ感じがして気になっていたのだ。

内装は、いかにも日本のインド料理店という感じ。日曜日なのにランチメニューがあり、日替わりカレーセットを注文する。小さなサラダとラッシー、ほうれん草とチキンのカレー、ナンが出てきた。ナンは焼きたてで巨大。満腹になった。ほうれん草のカレーを私はそれほど好まないのだが、今回は結構おいしく食べられたと思う。税込み750円。店内のテレビでは、インド映画がかかっていた。

この町を私が気に入っている理由の一つは、商店街があることだ。人が生活している気配と雑多な感じが好ましい。だが、ここのところお店が少なくなってきて寂しい感じがしていた。自分の消費生活を振り返ってみても、スーパーマーケットとドラッグストア、通信販売でほとんどの買い物を済ませている。商店街で買い物をすることなど滅多になくなってしまっているので、商店街に活気がなくなってきたのは仕方がないことなのかもしれない。

「エベレストキッチン」には、日曜日の午後遅くにしては客が多くいた。こうしたお店はなくならないでほしいと思う。

2009年4月19日日曜日

江ノ島へ


4月19日(日)は天気がよく体調も回復してきたので、自転車で江ノ島へ行った。

つつじの花も、春の終わりの風も、初夏の気配がする陽射しも、どれも心地よく、大した疲れもなく江ノ島へ到着する。昨年末に来て以来だ。いつものようにヨットハーバーの突端(さざえ島というらしい)へ行き、休憩した。日頃の生活の中では最も解放された感じがする。藤沢市で育ったので安心する風景だからなのか、海と空の広がりや潮のにおいがあるからなのか。

復路は、自転車がなかなか前へ進まない。向かい風が絶え間なく吹いているからだと気付いた。往路の調子が良かったのは風に背中を押されたせいで、体力が回復しているわけではないことがわかる。権太坂の頂上付近では、スポーツ車に乗った女性たちにも追い抜かれた。

今日の走行距離は55kmほど。爽快だった。

より大きな地図で 保土ヶ谷から江ノ島まで を表示

2009年4月16日木曜日

保育園の良い記憶


一人息子が3月に卒園した保育園には、良い印象がたくさん残っている。なぜ良い印象が多かったのか、思いつくままに書き記してみる。
息子の保育園からは、いつも明るい雰囲気が感じられた。
  • 園舎や設備は新しく、手入れも行き届いていた。設備投資も継続していたように思う。
  • 若い保育士が多く、彼らの動きはきびきびとしていた。彼らが独身で自身の子供を持っていないことは、育児ずれしておらず、一人目の子育てをしている私の視線に近いと感じられたのかもしれない。
  • 教室内の掲示物や各種の配布物は丁寧な手書きの手作りのもので、暖かさや愛情が感じられた。クリスマスの時期には、ベランダや園庭の庭木がライトアップされ、子供を引き取りに行くとき私の心も和んだ。
躾や教育についても満足できる内容だった。共働きで子供をほったらかしにしている親が、とやかく言える筋合いではないのだが。
  • トイレ、食事、好き嫌いの克服、着替え、歯磨き、挨拶や礼儀、ルールを守ること、などなど、必要なことはほとんどみな、息子は保育士から学んだ。教える内容も教え方も、納得できるものばかりだった。
  • 年次が進むと、英語やリトミックなどの時間が毎週もたれ、調理実習なども行われた。
  • 遠足や運動会、芋掘り、クリスマス会などの企画も丁寧に実施され、良い思い出になったのではないかと思う。年長クラスでのお泊まり保育やお別れ遠足も、息子にとって印象が深かったようだ。
息子の保育園には、父母の共働きの生活を支援しようとする姿勢が十分に感じられた。
  • 保育時間は朝7:00から夜21:00までであり、夕刻には軽食または夕食を選択して与えることができた。子供の引き取り時間が急に変更になるような場合にも、柔軟に対応してくれたように思う。また、土曜日も保育してもらうことができた。
  • ホール出口のホワイトボードや担任の保育士と取り交わす連絡帳には、その日の様子が毎日書かれていた。毎月配布される冊子は手作りの暖かい内容のもので、園の雰囲気が想像できた。3ヶ月に1度くらい、園での生活を撮影した写真が張り出され、購入することができた。こうしたもの一つ一つによって、共に生活する時間が短いことによる不安な気持ちが、ずいぶんと癒された。
警備や法令遵守に関する取り組みを適切に行っていた。私が子供だった頃には考えられなかった類の事項だ。
  • 門は電子錠で常に施錠され、手のひら静脈認証かインターホンによる保護者の本人確認が行われた。
  • 磁気カードと記録簿で登降園の記録を行っていた。登園時に伝達した人ではないと、降園時に子供を引き取ることはできない。離婚した一方の親が子供を養育できなくなり、保育園から子供を連れて行ってしまうことがあること、それを防ぐために子供を引き取る人を登園時に特定する必要があることを知ったのは、ずいぶん後になってからだった。
  • 病気の子供に薬を飲ませてもらうためには、医療機関の名前や投薬内容を与薬票という専用の紙に記入する。数日分のシロップ薬を一度に飲ませてしまうというような過誤を防ぐためだ。
  • 第三者機関の評価を自ら受けていた。
  • 対応基準が明確ではない個人情報保護にも、試行錯誤しながら真摯に取り組んでいたように感じられた。
仕事がある日の子供たちは、起きている時間を家庭よりも長く保育園で過ごし、両親とよりも濃密な時間を保育士や園児たちと持つことになる。保育園は拡張された家庭であってほしいと、共働きの私は期待していたのだろう。
何か鍵となるような要因をもっと見つけ出してまとめたかったのだが、なかなかうまくいかない。だが、もし二人目を授かっていたら、やはりこの保育園へ通わせただろう(抽選が当たればだが)と思っている。こうした印象は、どのようにすれば生み出せるのだろう。サービスというものは単純ではないと思われた。

2009年4月10日金曜日

初めてのお使い。通学の始まり。


一人息子の小学校の入学式が4月6日(月)に終わった。午後から会社へ行く。

その日の夕方に息子は初めて一人でお使いに行ったのだと、帰宅後に妻が教えてくれた。「一人で行けると思う」と息子は言い、1,000円札の入った財布を首から提げて、近くのスーパーマーケットでブロッコリーとヤクルトを買ってきたのだという。「レシートもらうのを忘れちゃったんだよ」と言いながら、息子は満足そうだった。

7日(火)から通常の登校が始まった。初日は校門の近くまで、息子と一緒に歩くことにする。同じクラスで隣の席になる子と途中で会った。この子はもう、一人で登校している。校門が近づいてきて、「もうここから一人で行く」と息子は言い、その子と一緒に私から離れていった。

8日(水)の朝は、小学校へ歩き始めてまもなく、「もう一人で行けると思う」と息子は言った。交通安全の黄色いカバーがかかったランドセルを背負い、大きな道具箱の入った袋を右手に、学童保育クラブで食べる弁当の袋を左手に持って、彼は川沿いの道を一人で歩いていった。荷物ばかりが大きい彼を見送りながら、私は電車の線路の方へ左折する。踏切の遮断機が下りたままだったのを幸いに、小さな後ろ姿が見えなくなるまで線路脇に立っていた。

自分の生活にきちんと立ち向かおうとしている小さな息子が愛おしい。そして、こうして自立しながら親から離れていくのだろうと思い、少し切ない。

学童保育クラブ


4月1日(水)は、一人息子が学童保育クラブへ通い始める日だ。小学校の校舎の一部屋が、学童保育クラブに割り当てられていて、朝8:30から夜19:00まで専従の職員が子供を預かってくれる。

始業式前の小学校はまだ人の気配がほとんどなく、何となく心細い。所定の部屋の前まで行くと、専従の職員と、先に来ていた先輩となる子供が二人、我々を迎えてくれた。不安そうな顔をしていた息子は、珍しく自分から「おはようございます」と挨拶し、下駄箱に靴を入れると、私にちょっとだけ手を振って先輩の子供と部屋へ入っていった。

物心が付いた頃にはもう保育園へ通っていた息子は、自分の境遇をきちんと受け入れている。初めての環境に立ち向かっている彼を、今は信頼することにして職場へ向かった。

保育園の最終日


3月31日(火)は、一人息子が保育園へ登園する最終日だった。卒園式の後も引き続き両親は働いているので、保育園は卒園式の後も3月末まで子供を預かってくれる。

桜が満開の道を歩き、息子に手を振って別れた後、初めて彼を保育園に預けた日のことを思い出した。一人息子を保育園に入れたのは、彼が8ヶ月になる頃だった。

最初に保育園へ彼を置いて離れるとき、彼は床に這ったままこちらに向かって手を伸ばし、泣いた。彼にとって両親から離れる初めての体験の不安が、こちらにも伝わってきた。その泣き顔は記憶に深く刺さり、罪の意識に転じる。職場へ向かう電車の中で、胃がむかむかとして吐き気を催した。罪悪感から吐き気を催したことは初めてだったし、自分の子への処遇 ― それも保育園に数時間預けるだけ ― が、これほど罪悪感を引き起こすと知ったのも初めてだった。

子の純粋さと一途さの反映で、親の心にも幾ばくかの愛情が灯った。

保育園に慣らすために、初めは短時間だけ預ける「慣らし保育」から始め、少しずつ保育時間を延ばしていく。2週間もすると、保育園に置いてくるときに泣くことはなくなってきた。彼も人並みに環境へ順応するし、整った設備と教育された保育士がそろった、優れた保育園だった。だが、保育士が撮ってくれた保育中の写真の中で、彼の笑顔が見られたのは3歳を過ぎてからだったと思う。それまでの彼の表情はいつも硬く、決して笑っていなかった。彼は休日を指折り数え ― 文字通り、指を折って数えるのだ ― 親のお迎えが早いことを望んでいた。

小学校に入学する今でも、親は自分の生活の仕方と育児に自信が持てないままでいる。

アンチウイルス・ソフトウェア

1月に購入したノート型PCに予めインストールされていたアンチウイルス・ソフトウェアの試用期限が迫ってきた。メーカーからのメールに従ってオンラインの優待価格でサービスを更新すると、4,725円かかることが分かる。同様のパッケージ版の価格をAmazonで調べてみると、2,748円。4割以上安価であった。送料もかからないので、当然Amazonで購入する。
メーカーの市場販売価格管理が不十分なのか、はたまたAmazonの価格戦略が挑戦的なのかは分からない。いずれにせよ、イメージが悪くなるのはメーカーであって、Amazonではない。初期導入ユーザーを誘因するために、パッケージ版の価格を引き下げたのだと思われるこの戦略は、十分に機能しているのだろうか。

私にとってアンチウイルス・ソフトウェアは...
  • バックグラウンドで勝手に動いてくれればよい。つまり、いつも使うわけではないので、使い方の慣れは必要ではない。
  • どのソフトウェアも機能は同じように見え、製品ごとの差異が分かりにくい。
重視する点と言えば...
  • 他のソフトウェアの動作が重くならないこと。
  • 継続利用時の価格が有利なこと。
...くらいだと思われる。

このため、2年以上のライセンス契約を割安価格で提供されたら、購入してしまっただろう。メーカー側も、販売時の利益は減少するかもしれないが、ライセンス期間中に競合製品に乗り換えられる恐れは減少する。また、長いライセンス期間中にPCが廃棄されれば、結果的にメーカーの利益になるだろう。

加えて、ライセンスの追加購入を優待してほしいとも感じた。我が家には、デスクトップ型PCとノート型PCが2台ずつ、計4台のPCがある。2台はマカフィー、1台はウイルスバスター、1台はカスペルスキーがインストールされている。ライセンスの追加購入が優待されれば、そのメーカーのみを選択するようになり、競合の排除につながると思われた。家庭では、複数のPCが同時に購入されたり、複数のアンチウイルス・ソフトウェアが同時に更新されることは少ないと考えられるので、5ユーザー用などの複数ライセンスパッケージは有効ではないだろう。

2009年3月29日日曜日

自転車


久しぶりに、自転車に長時間乗った。メニエール病や風邪のため、昨年末に江ノ島に行って以来となる。

体力が衰えていることが心配だったので、往復で25km程の横浜ベイサイドマリーナを目的地とした。爽快だった。具体的に体を動かすことは、やはり大切だと感じた。

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早起き

社員が残業しない(させない)ことで有名になった会社の人と話したことがある。本当に残業しないのか、と尋ねると、(たしか)18時になったら本当に仕事を終えて帰宅するとのこと。

「その代わり、朝は7時前には出社するんですよ。」

なるほど、サービス残業という言葉はあるけれど、サービス早出とかサービス早朝勤務という言葉はないと思った。一方、労働強化という言葉はある。これは一種の労働強化なのだなとそのとき感じた。この会社の社長が書いた本を最近になって読んだところ、ほぼ印象通りであった。残業しない/させない会社って、かえって社員には厳しかったり、きつかったりするのだろう。

3月24日(火)の夜、急いで終わらせなければならない仕事が急に入ったため、翌朝早起きをし、7:00過ぎには会社で仕事を始めた。9:00までPCに向かい、昼過ぎまで取引先を訪問する。帰社後、16:00を過ぎると仕事に集中できなくなってきた。疲れたのか、使い物にならない。勤務開始から9時間。少し休憩して、終業時刻の18:00を過ぎたら早々に帰宅した

いつもは9:30の始業時刻ぎりぎりに会社に到着する。夕方くらいからエンジンが徐々にかかり始め、だらだらと残業し、会社を出るのが20時前であることはない。生活パタンを2時間半早められれば、確かに仕事の密度は上がり、家族と過ごす時間も増えそうな気がしてきた。

でも、だらだらと残業したり、だらだらと夜更かしして、とりとめもなく過ごす時間を捨てられるだろうか。こういう無償の時間の断片を、不要なものとして切り捨てようとして、長い間失敗してきたのではなかったか。こういう時間を愛惜するのは、否定すべきことなのだろうか。

一人息子が小学校へ進学する4月から、最低30分は早起きをしなければならなくなる。生活にしみこんだ「だらだら」癖を、ちょっとだけ減らすことになる。ちょっとだけ不安を感じている。

卒園


一人息子が通った保育園の卒園式と謝恩会が、3月21日(土)にあった。大きな病気や障害がなく小学校へ無事に入学できることに安心する。

その前日は、学童保育クラブの説明会に参加した。両親が共に働くこと、夜まで自宅には人がいないことは、彼にとってもう当たり前のことのようだ。

謝恩会からの帰り道、一人息子はなぜかめそめそ泣いていた。彼でも感傷的になるのか、単に友達ともっと遊びたかったからなのかはわからない。いい親父のふりをしたい私は、理由を何も聞かなかった。謝恩会で、気取って食事を余り取らなかった私は、お腹が空いていた。彼も私も大好きなバームクーヘンの大きいのを1個、子供にかこつけて買い、二人で分け合って食べた。

2009年3月15日日曜日

デジタルカメラを購入した ― 2

デジタルカメラを先日購入した際の選定方法を記しておく。
(1) 現在使っている機材のメーカーに加えて、シェアや評判の高い数社のホームページで仕様を比較する。通販サイトや価格情報サイトにあったユーザーの評価も補助的に使用した。
(2) 店舗で購入するつもりは最初からほとんどない。基本的に、通信販売の方が費用も時間も節約できると考えていた。手触りや操作感、仕上げの品質、アフターサービスなどで、購入後に失望する可能性はほとんどないと信じられた。
(3) 通販サイトや価格情報サイトで価格帯を確認する。
(4) 3月12日発売の新製品なので、カタログ上の性能やセールスポイントが優れていたこと(新しくて性能がよいものが私は好きなのだ)、現在使っている機材と同一のメーカーなので、メモリーカードやバッテリーが使用できることなどから、購入機種を決定。
(5) ユーザーからの評判が高く販売価格の安い通販サイトを、価格情報サイトから選ぶ。

自分の中で、このブランドに対する信頼が高いことにいささか驚いた。このメーカーのものであれば満足できるだろうと信用していた。また、3~4万円程度の買い物であれば、購入に時間をかけたくないと感じてしまう。品質などに対する不安がなく、情報が十分に提供されていれば、もっと高額なものでも通販で購入するだろう。時間が貴重になっているからかもしれないし、店舗での購入が煩わしく、店舗で得られる情報が不十分だと感じているからかもしれない。

(1) この商品の発売日である3月12日(木)の昼休み12:50PM頃に、通販サイトで購入を申し込む。
(2) 申し込みの確認と、金額、入金方法に関するメールを通販会社から受信。この間、5分程。
(3) インターネットで指定銀行口座へ代金を振り込み。
(4) 入金確認と発送完了のメールを当日の16時過ぎに通販会社から受信。丁寧な文面で、送り状番号なども漏れなく記載されていた。
(5) 配達日時として指定した3月14日(土)午前中に商品を受領。

この早さと利便さには、とても満足している。通販サイトの利用率は一層増えていくに違いない。また、通販業に参入するのであれば、ユーザーへの反応を限りなく素早く行うこと、提供する情報の品質を向上させることへ、資源を集中する必要があるのだろう。

デジタルカメラを購入した ― 1

デジタルカメラを購入した。一人息子の保育園の卒園式と謝恩会を来週撮影するために、現在の機材では機能が不足すると思えたことがきっかけだ。
パンやキュウリや卵を買ったことはブログの話題にしにくいが、デジタル系のおもちゃを買えば話題にできる。商品自体も購入形態も日々の変化が大きく、大きく変化したことに対する驚きを、大雑把に述べることは容易だからだと思える。映画や本の書評、子供の成長がブログの話題にしやすいことと共通しているのだろう。
今、そうした「変化が大きいこと」ばかりが頭の中を大きく占有していることを、ある程度まで拒否したいと私は何となく感じている。
こうした物質的な変化が自分を豊かにしてくれる時期が、過ぎてしまったのかもしれない。日常生活の中に、精神的な欠乏感を感じているからかもしれない。渇望するような目標や熱中する趣味を失っているからかもしれない。
パンやキュウリや卵を買っているときに感じることや、生活することの意味、ふと感じる矮小感を文章に書き表すことはどうして難しいのだろう。何気なく妻と話をするときに感じる親和感と緊張感の変化、子供を保育園に送るときつなぐ手の暖かさと喪失の予感、職場でのもどかしさや自己矛盾などなど。もっと、日常の現実の自分を掘り起こしていくために、私は文章を書くことにしたのではなかったか。

2009年2月23日月曜日

Meniere's Disease


頭がくらくらするのが治まらないので2月20日(金)の午前中に、耳鼻科へ行く。「めまいはしますか」と医者に聞かれた。

「遊園地のジェットコースターやコーヒーカップから降りた時みたいに、頭がぐらぐらするんですよ。」
「それが、めまいです。」
ふぅん。
45歳になるまで私は、めまいってどんなものか実感したことがなかったのだ。知らないものは知らない。

処方されためまい止めの薬を飲むと少し楽になってきた。めまいとの付き合いが、長くなりそうな気がする。

2009年2月15日日曜日

ディズニーリゾート

2月11日(水)の休日と休暇を組み合わせて、家族でディズニーリゾートへ行った。ホテルを一泊予約し、1日目はディズニー・シーへ、2日目はディズニー・ランドへ行く。

ディズニー・シーは、ディズニー・ランドに比べて歩いているだけでも楽しい感じがする。これは、景観の作り込み方の密度が濃いこと、つまりは構築物が数多く密に配置され、路面や壁面の作り方が丁寧で粗雑さや破綻している感じが少ないことによって、作り出された世界に溶け込み易いからだと思った。こうした空間を作り出す能力や、毎日の運用に耐えさせ維持する努力は、きわめて大きいものなのだろう。

ディズニーリゾートにいる女の子を見て、色気を感じることが少ない。女の子自体に差異はないと考えられるので、ディズニーリゾートに来ると寛いでしまって異性に対する意識が低下し、それが仕草や立ち居振る舞い、化粧や服装などに出るのかなどと勝手に考えを巡らせてしまう。女の子の色気とディズニーリゾートの目的とはまったく相容れないだろうし、何より自分自身が男の色気のかけらもない。女の子の側から私を見たら、くたびれてだらしない、色気のない叔父さんに映っているだろう。

自分自身はもうショウやライドを楽しもうという歳ではないが、整った環境で家族と過ごす時間を確保し、子供が喜ぶ顔を見るのは悪くない。また来園することになるのだろう。

子育ての終わり

いつの間にか、子育てが終わりかけていることにふと気がついた。
一人息子はこの4月から小学生になる。トイレや入浴、生理的な身体を維持するための行為は、本当は一人で全部できるようになっているのだろう。子供を食事させるのに手がかかるのは、食べこぼしや行儀を親が気にするからで、彼の食欲を満たすだけならもう手助けは不要だ。
そして彼との関わり合いで多いのは、今や躾になっている。禁止やルールへの強制が会話に多い。躾をしなければならない理由には自覚的ではないのに、半ば反射的にルールを彼に刷り込もうとする。
法律や規則、社会生活のルール、人間関係上のマナー、こうしたものすべてに疑問符をつけた時期が私にもあった。このときから私は確かに変質していることに気がつく。一体私は、彼にどうなってほしいのだろう。

2009年2月1日日曜日

回復

1月29日(木)に耳鼻科へ行ったら、突発性難聴で低下した聴力が回復していた。左右の周波数特性がきちんとそろった検査結果を見せながら、すっかり回復したのでもう来院する必要はないと、医者は笑いながら言った。本来は喜ぶべきことなのだが、目眩のような頭痛のような何ともいえない違和感が頭の中に残っているので、状況を訴え、一週間分の薬を追加してもらう。

26日(月)は頭がくらくらして、仕事どころではなかった。入院や失聴を本格的に覚悟した。通院する途上でさえ、目眩をかなり感じていたのだ。医者はもう、治療を続ける気がないようなので、かえって不安な気持ちが増す。他の病気が潜在していたらと心配になる。杞憂であるように念じる。

束の間

先日購入したノート型PCを、自宅のトイレに持ち込んだ。これまでは無線LANがなかったので、トイレでPCを使うなど考えても見なかったのだ。あまりに便利なのに驚く。メールをチェックし、ニュースに目を通し、本や必需品が購入できた。これらのことはほとんど携帯電話でもできるのだろうが、私は携帯電話を意識的に使わないようにしてきたので知らなかったのだ。

自宅で家族が一緒にいると、子供の遊び相手や家事の手伝いで、新聞や本を落ち着いて読めない。トイレに入るときに新聞や本を持って行くのには時間潰し以上の意味があり、新聞をきちんと読んでいるのはトイレくらいだ。
  • 新聞を読むのはトイレ。
  • 本を読むのは通勤電車。
  • ニュースを読むのは仕事の合間にインターネットサイト。
  • 私用のメールやインターネットサイトをチェックするのは帰宅後寝るまでの束の間。
新聞の内容がほとんどインターネットサイトでも読めるようになった現在、新聞を定期購読する意味が本当に低下してきていると感じる。新聞を読む優位点は、自分にとって重要な情報、関心を引く情報があるかないかを、紙面を開き目を走らせる一瞬で判断できることぐらいだろうか。インターネットサイトでは、情報の一覧性が新聞より劣ると思えるので、すべての見出しを確認するのにも時間がかかるように感じている。検索を使うと検索対象以外の記事が除外されるので、関心の広がりや意外性のある記事に出会う楽しみが減少する気もする。でも、代替手段が登場して、新聞を購読しなくなる日は近づいている気がなんとなくしてきた。

節目

卒園おめでとう。

母さんと父さんは、ほんとうに嬉しい気持ちでいっぱいです。これから小学生になっていく君が、とてもまぶしく見えています。

保育園で過ごした6年間に、君は歩けるようになり、お話ができるようになり、ご飯を食べるのもトイレに行くのも一人でできるようになりました。お友達もたくさんできました。母さんや父さんが近くにいないときでも、君は一所懸命に頑張ったのだと思っています。

大きなけがや病気をしないで、こうして元気に毎日を送ってこられたのは、保育園の先生たちやお友達がみんな、君を大好きで大切に思ってくれているからでしょう。みんなにありがとうと思う気持ちを忘れないでください。離れて住んでいるお祖母ちゃんもお祖父ちゃんも、伯父さんや伯母さんも、いつも君のことを考えてくれていると思います。

君はもう、自転車にも乗れるし、ラグビーもできるし、英語も覚え始めました。そしてこれから、できることがもっともっと増えて、どんどん上手になっていくでしょう。もっと大きく、健康で、優しく、賢くなっていく君と、母さんと父さんはこれからもずっと一緒に過ごしていきたいと思っています。君の笑顔を見ると、とても元気になります。君の母さんと父さんになれたことが嬉しいです。

大好きな君へ

母、父
一人息子が通っている保育園へ、卒園文集の原稿を提出することになった。彼が生まれて8ヶ月目の4月から預け始めて、この3月に卒園する。彼が一人で読めるようになったときに、彼の勇気や自信になってほしいと思った。

2009年1月25日日曜日

Sudden Deafness

1月20日(火)の朝、起きたら左耳が詰まっているような感じがした。高度で気圧が変わったときのようだ。翌々日の会社の定期健康診断の日には回復したと思えたのだが、23日(金)にまた詰まる感じがしたので近くの耳鼻科へ行く。左耳の突発性難聴と診断された。


病状を告げるなり医者は素早く診察を始めた。中耳炎の子供を連れて行ったときに見たその医者の様子とかなり違うので、少し驚く。小型の内視鏡のようなもので両耳の中を見た後、防音室の中で聴力を調べた。ヘッドホンを耳に当てる方式と、耳の後ろの骨を振動させる方式で、音が聞こえている間手元のボタンを押す。その後、鼓膜に気圧をかけるような検査が続いた。

鼓膜はきれいで外観の異常はないが、左耳の低音域の聴力が低下している。簡単な周波数特性のグラフで、左右の耳の違いを示された。スポーツや飲酒、寝不足は慎むように言われ、来週また検査をすることになる。投薬も始まった。アデホスコーワ顆粒10%を1g、カルナクリン錠50を1錠、バンコミン錠500を1錠を、それぞれ毎食後に服用する。

病気に関する情報は、インターネットから容易に入手できた。原因や治療方法が確立されておらず、完治しない可能性も低くないようだ。頭も常に重い感じで憂鬱だが、左耳だけだし、完全に聞こえなくなったわけではないし、入院するわけでも命に関わるわけでもなさそうだ。さしあたり、予定していた飲み会をキャンセルし、自転車で遠出するのも控えることにする。

40歳を過ぎてから、自分の体の失調に向き合うことが多くなった。自分の体を維持するために費やす意志の量と時間が増えている感じがする。これが老いるということなのだろうかと、漠然と考えたりする。自分の体を維持するために費やす意志と時間の、すべての生活の中に占める割合がある閾値を超えたら、生きることの意味合いは大きく変質するのかもしれない。

2009年1月18日日曜日

ミネラルウォーター

100年に1度の景気の後退だと新聞などで騒がれているからか、消費や家計を緊縮しようと、いつも何となく感じるようになってきた。“いつも”という部分の影響が大きいような気がする。刷り込まれるように、今後数年間は所得の伸びは見込めないと信じるようになってきた。円高なので輸入品の価格とともに生活物価も下がって暮らしが楽になるんぢゃないかとかポジティブな事柄は考えられずに、収入が減少する可能性の暗鬱さが心理的に重くのしかかり始める。

定期的に購入しているミネラルウォーターの、いつも購入しているAmazonでの価格が上がった。円高なのになぜという思いもあって、安い通販サイトが他にないか検索することにする。Amazonでは2,270円なのに、見つけたサイトでは1,599円。671円、30%近い差だ。カードで決済できるし、ユーザーの評価も高いので、即座に注文を決断する。ここで重要だと感じられたのは...

■納得できる十分な価格差がある。
納得するには20%以上くらいの差が必要かもしれない。2,000円を超えていたら、注文していなかったような気がする。端数価格が設定されていた影響も、もちろんあると思う。

■送料込みの価格が提示されている。
通販サイトで1円でも安い商品を探しているときは、価格に対してとても敏感になっている。意識が商品の価格に集中しているとき、改めて送料を提示されると割高に感じてしまう気がするのだ。送料込みで2,400円と商品1,900円+送料500円だったら、かえって送料込みで2,400円を選択してしまう可能性が高いような気がする。また、送料を改めて調べる手間は、購入し辛い印象が残る。送料が事前にわからないサイトは論外だろう。

■クレジットカードで決済できる。
クレジットカードの利用額のポイントが付くというのは、得している気分が結構大きいのだ。カードのポイントを金額に換算すれば微少であることは分かっているのだが、何となくカードで決済したいと感じてしまう。また、インターネットから振り込めるとはいえ銀行振り込みは認証の手間が多いし、代金引換も受け取り時の金銭授受が面倒だと感じているので、敬遠してしまう。

■ユーザーの好意的な評価コメントが多く掲載されている。
そのサイトを初めて利用する者にとっては、サイトに対するコメントの影響がとても大きい気がする。コメントには、商品に対するものとサイトに対するものがあるが、そのサイトを始めて利用するユーザーに対して、サイトに対する評価コメントを積極的に提示することは重要かもしれない。

で、1月15日(木)の夜に注文して、16日(金)には発送され、17日(土)の夜に到着した。きわめて迅速に発送されたので、満足度が高い。また、今や当たり前だが、注文や発送の確認のメールがきめ細かく届き、運送会社で追跡できるように発送後に伝票番号が知らされた。この通販サイトは繰り返し使おうという気になる。

さて、仕事で自分が通販サイトを運営することになったら、さらに何を付加すればよいのだろう。

2009年1月12日月曜日

時間の確保

自分の時間がとれなくて、いらいらすることが多くなった。新しい知識は増えないし、美術館にも行けていない。

原因を考えてみた。
【1】子供と遊ぶ時間が多い。共働きで保育園に預けているという後ろめたさもあって、平日の帰宅後や休日は子供に求められると無制限につきあってしまう。子供と触れ合うとこちらも癒されるのだが、彼らの方に制限時間はない。
【2】自分が利用できる時間がどれだけあるのか、きちんと意識していない。1日は24時間で、仕事もそこそこ忙しいし少しは家事も分担しているので、通勤時間やわずかな自由時間はとても貴重で、もっと有効に使う必要がある。
【3】したいことが明確になっていない。本も読みたいし自転車にも乗りたいし美術館にも行きたいし買い物も行きたいしと、したいけれどもできていないことがごちゃごちゃと頭に留まったままになっていた。本が読めていないと感じていながら、何の本を一番読みたいのか、読まなければいけないのか、はっきりしていなかった。

とりあえず、無制限に子供と遊ぶのは止めにした。スターバックスでコーヒーでも飲みながら、一人で考えたり読書する時間を確保するのだ。次に、やりたいことを書き留めることにした。興味を引いた本を手当たり次第に買ったり、暇つぶしにコラムを読んだりするのを減らして、集中するべき分野(今だったらビジネス統計や新しいウェブサービス)に専念するのだ。そして、意志を強くして自分を対象に集中させていく。睡眠時間を十分に取るとか食生活を整えるとか、自己管理も集中には大きく影響する。で、貴重な時間を最大限に活用するためには、多少の投資もやむを得ないではないか。

というわけで、ノート型PCを1台買ってしまった。ついでに、外付けDVDドライブ無線LANルータも購入することになった。こうしてまた人生はちょっとだけ楽しくなり、ちょっとだけ複雑になっていく。

定期点検


1年ほど前に購入した自転車を定期点検に出した。自転車店の担当者によると、チェーンのオイルが切れかけて摩耗が進んでいたとのこと。ペダルを踏むたびに後ろの方でキコキコ音がしたり、何となくペダルが重いと感じていたのは正しかったのだ。ペダルが重いのは単に体力不足のせいだと思っていた私は、謙虚というべきか。

定期点検後の愛車は見違えるほど乗りやすく、かつ速くなった。ペダルは滑らかで、確実に加速していく。平均時速が5kmくらいは上がった感触だ。今度の休日はまた、江ノ島にでも行くことにする。

2009年1月2日金曜日

2009年の元日

その1
元日は1月1日(木)の午前10時過ぎ、ペリカン便が荷物を届けに来た。受け取ったのは12月30日(火)の23時過ぎにAmazonに注文した洋書1冊とCD 1枚、子供用の電気スタンド1台が入った段ボール箱2個。注文から納品までわずか1日半弱というスピードはもちろん、年末年始だとゆーのに、フツーに、当たり前に通販商品が届いてしまうことに驚いた。年賀状の配達より早い時刻の到着だった。

その2
やはり元日は1月1日(木)の夕刻、受信中のファクスが用紙を出力している最中に、突然電源が落ちた。ACコンセントを抜き差ししたり本体のカバーを開け閉めしたりしても直らず、修理を依頼することを決心。メーカーであるパナソニックの修理窓口へ19時頃に携帯電話からかけると、担当者が修理受付をしてくれた。元日の夜だというのに当たり前のように受付作業は完了し、翌2日(金)には修理担当者が連絡をくれるとのこと。

その3
元日に届いたPC Depotの新聞折り込み広告で、2TBのハードディスクが20,000円というのに目が留まった。私が1988年にハードディスクを初めて購入したときは、Mac Plus用Jasmine製20MBのものがツクモ電機で確か189,000円だったことを、いつものように思い出しては感慨に耽ってしまった。

周囲や社会にとってフツーのこと、当たり前のことみたいなものが、大きく急速に変化しているのに、自分の常識は思いの外、変化していないのだ。自分は若いつもりでいるとか、まだまだ大丈夫だ(一体、何が大丈夫なんだろう?)と思ってしまうのは本当に危険だ。こんな古い常識に基づいて仕事の判断を続けていたら、自分の会社のサービス水準が向上するわけがない。

私たちは着実に年を取っている。最先端までは望まないが、いつも「前の方」にいるためには何を心がければよいのだろう。